宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第五章 矛盾しながらも統一する矛盾的自己同一  [32]対立物の同居・相補性・矛盾的自己同一・拮抗・葛藤を生み出す二項対立 [理論・法則はそれ自体にも適用される]

第五章 矛盾しながらも統一する矛盾的自己同一
[32]対立物の同居・相補性・矛盾的自己同一・拮抗・葛藤を生み出す二項対立
[理論・法則はそれ自体にも適用される]
◎「絶対はない」と発せられた言葉は、その理論自体によって論破される、自分の頭を自分のかなづちで叩き割るように。自分が投げたボールが壁に当たって自分に跳ね返ってくるようにフィードバックする、円循環する、自己言及する。自分が投げたボールが地球を一周して自分の後頭部に当たるように、まさか。
[理論・法則は時間と空間を持たない]
◎理論(法則)は、物質が持つような「時間も空間も持たない」ので、発せられた理論はたちどころに、宇宙全体(全空間)へ未来永劫から過去永劫(全時間)へと延び広がる。無は充満である。
[世界は対立概念(二重構造)を持つ]
◎世界は、それが物質世界であろうと精神世界であろうと、対立概念(二重構造・二項対立)を持つ。例えば、自然と人工/アナログとデジタル/無意識と意識/結合と分解/好きと嫌い/停滞と進歩/上昇と下降/集団と個人/愛と憎/秩序と混乱/肯定と否定/受容と拒否/普遍と特殊/全体と部分/受動と能動/依存と自律/並列と直列/開放と閉鎖/内と外/建設と破壊/絶対と相対/敵と味方/物と心/善と悪/公と私などなど。
[対象(要素)の組合せは自由自在]
◎葛藤は心の内部でも、人事部長とリストラ候補の課員との間に立つ課長のように個人間でも起こり、国家間でも存在する。正反対のものが一組であるならば、それらは矛盾的・葛藤的・相補的・拮抗的・対抗的と見なせる。
[中間が含まれる反対]
◎「反対」の場合には、「大」と「小」のようにその中間の第三者「中」をいれる余地がある。紛争では第三者、仲介者を入れて解決を図ったりまとめたりしようとする。
[物事は相反・対立する性質を合わせ持つ]
◎磁石は、N極とS極という相反・対立する性質を合わせ持つ。二つの磁石を合わせると、同質(同極どうし)の場合には反発し合い、異質の時には互いに引き合う。また、磁石は真半分に分割しても、N極とS極とに分離することはできない。相変わらずN極とS極とは同居する。
◎弓は、反り返る(遠心力・分離力)竹と引き留める(求心力・結合力)弦の合力(遠心力と求心力の均衡)によって成り立つ。弓の中に正反する力が同居する。その合力を不均衡にすることによって、矢を射ることができる、その不均衡を均衡へと戻そうとする反作用が働く。
◎「内は外であり、外は内である」。例えば、「獅子身中の虫」にとって獅子の身中は外だが、虫にとっての外は獅子にとっては内である。どちらの視点をも含められる表現は存在しない。現実(物質世界)は時間と空間を持つが、理論(言葉)はそれらを持たない。
[万物は陰と陽を合わせ持つ]
道家の開祖老子(春秋戦国時代)は、「万物は陰を負うて而(シコ)うして陽を抱く」と説く。
◎彼は、宇宙の(万物の生成と運動をもたらす)根本原理を道(方式・力)や無(状態)と呼び、それに従う無為自然(天国)への復帰(帰還)が人間の取る方向だと説いた。彼のいう万物は、陰を背後に背負い、陽を前に抱くという矛盾的自己同一的存在である。
[陰陽説は先ずは分かれて後に和合する、弁証法(正反合)的展開]
道家の思想を中核に記述した前漢時代の思想書淮南子」は、「一のみ似ては生ぜず、故に分かれて陰陽となる。陰陽和合して万物生ず」という。
◎先ずは、分かれて後に和合する、一つの受精卵が分裂してそれらが一つの統合体として生物(多細胞生物)が存在する、弁証法(正反合)的展開である。
[陰陽説は相反する性格を持つ二元の変化によって宇宙の万物・現象を説明する]
◎陰陽説(易)は、天地・昼夜・寒暑・男女などの相反する性格を持つ二元の変化によって、宇宙の万物・現象を説明する。二元の内で、積極的なもの(天・男・日・昼・動・明など)を陽、消極的なもの(地・女・月・夜・静・暗など)を陰とする。
[陰陽は循環と交代とを無限に繰り返す]
◎陰陽では、一方が上昇すると他方が下降する。互いに相補的・拮抗的な動きをする。そして、一方の動きが極点・頂点(臨界点)にまで達すると他方に優位性をゆずる。両者はこのような循環と交代を無限に繰り返す。
[聖書の神は宇宙を二項対立的に、矛盾的自己同一的に創造]
◎聖書の創世記に、初めに神は混沌から、光を創造して闇と光とを分け、水と天、陸と植物、太陽と月と星、魚と鳥、獣と造り、人間を男と女(アダムとイブ)とに創造する。大まかにいえば、神は宇宙を二項対立的に、矛盾的自己同一的に創造された。
[分極(二項対立)は両者の内の一方がなければ他方もない]
◎西欧では、レヴィ・ストロースが、「二項対立」を掲げ、ドイツの詩人・作家ゲーテ(1749-1832)が「分極性」という。例えば、結合と分離は、両者の内の一方がなければ他方もないという分極(二項対立)関係にある。分極は象徴のように本来一つのものが二つに分割されることによって、どちらかに片寄ることによって生まれる。
[矛盾的自己同一は、矛盾しながらも、統一をもって一個の全体として存在する]
西田幾多郎の「矛盾的自己同一」は、矛盾しながらも、統一をもって一個の全体として存在する。「統一があるから矛盾があり、矛盾があるから統一がある」と西田幾多郎は「善の研究」でいう。
[関係し合いながら矛盾でいられる]
◎一つにまとまらない、無関係の矛盾はもはや矛盾ではない。二つが関係し合うからこそ矛盾でいられる。矛と盾が離ればなれではもはや矛盾にはなれない。弓のように遠心力があるからこそ求心力も存在できる。一方がなければ同時に他方も消え去る。
[人間には対立物が混在する]
ユングは、内向と外向とを対置させ、思考と感情とを対置させ、意識と無意識とを対置させる。一方が意識に入るならば、対立物は無意識の方に入る。このように一人の人間には対立したものが併立内在する。
[ユングは対立物の統合、劣等機能の活性化が人間的成長だと見る]
◎分離したままの対立物(影)を無意識から意識に取り入れる対立物の統合や、無意識(周辺部・下位階層)に留まる劣等(未成熟)機能を活性化(表面化・充実化)することが人間にとって成長だと見なす。
[自身のうちに矛盾を持つ限りにおいてのみ運動する]
ヘーゲルはいう、「矛盾はあらゆる運動と生動性の根幹であるからである。あるものはそれ自身のうちに矛盾を持つ限りにおいてのみ運動するのであり、衝動と活動性を持つのである」と。
[矛盾の破れ・不均衡が運動をもたらす]
◎磁石がそうであるように、矛盾は二つが相互に排除し対立しあいながらも離れることはなく関係を持ち合う。矛盾する二つの力の破れ・不均衡が運動をもたらす。陰陽説のいうように、シーソーのように。
[前後を見る二つの顔をもつローマ神ヤヌス]
ローマ神話に登場する、前後を見る二つの顔をもつヤヌスは門(城門・家門)の守護神である。ヤヌスの神殿の扉は平和の時には閉ざされ、開戦時に開かれる決まりがあった。そのことから物事の始まりを意味し、英語のJanuary(1月)はこの神の名前から付けられた。ヤヌスは前後に一つずつ顔をもつので、「矛盾」をも意味する。
[禅僧白隠は仏魔同体、邪正一如を悟る]
◎江戸中期の臨済宗の禅僧白隠(1685-1768)は、三十一歳の時、巌滝山で修行中に、「仏魔同体、邪正一如」(矛盾的自己同一)を悟る。
◎またある時、彼は托鉢の途中で、老婆に竹ぼうきで打たれた瞬間悟りに入った。それによって、正受老人から開悟の認可を受けた。なお、彼のように悟りは一回とは限らず、また大小あり、何回も悟ることも珍しくない。芋虫・毛虫なども何回も脱皮する。
[神学者クザーヌスは、神を矛盾的統一・反対の一致としてとらえる]
◎ドイツの神秘主義哲学者・神学者・数学者クザーヌス(クサヌス)(1401-1464)は、神を「矛盾的統一」、「反対(対立物)の一致」としてとらえる。神の本質は、時間・空間において世界として展開する。それゆえに、世界のあらゆる物は神の本質(矛盾的統一)を宿す。
[自我に執着すれば、自己を喪失する]
◎自我(意識)に執着すれば、自己(無意識)を喪失し、自我放棄すれば、自己を完成する。自分の身体を思い通りに操作しようと意識すればするほど、ますます目的に逆らうかのような結果に終わる。自我と自己との関係も、矛盾的関係にあり、両方を満足させられない。
[意識を消せば逆対応的に体は伸びやかに舞う]
◎自分を意志(意識)の下に管理することを断念して、成り行き(自然)に任せる。そうすれば、とたんに体は自由自在に伸びやかに振る舞う逆対応である。石(意志)を捨てれば、心は軽やかになる。意志(意識)と身体(無意識が管理)も矛盾的関係にある。
[反抗は善悪両面を持つ矛盾的自己同一]
◎子供の反抗は、親の目から見れば、親への逆らいであって悪に見える。所が、子ども側からいえば自己主張であって自主性・積極性の高まり(善)である。なお「反抗」は大人が名づけたもので、大人の側からの一方的一面的命名であり不公平である。杭が残る表現である。
[大きさが同じで向きが逆の力(反作用)を返す作用反作用の法則]
ニュートンの「運動の第3法則」は、別名「作用反作用の法則」と呼ばれる。物体Aが物体Bに力(作用)を及ぼすならば、Bは大きさが同じで向きが逆の力(反作用)をAに返す。これも矛盾的関係にある。ちなみに、運動の第1法則は別名「慣性の法則」と呼ばれる。
[顕在する上昇力と潜在する下降力とが釣り合った時点で反転]
◎陰陽説を具体例で説明する。波は、上昇が顕在(表面化)するとき、上昇すればするほど、それだけいっそう潜在的下降力は大きくなる。また、ブランコは前に振れば振るほど、後ろに帰る潜在的反作用が増加してゆく。顕在する上昇力(前進力)と潜在する下降力(後退力)とが釣り合った時点(臨界点)で反転する。
[混ぜると色が消える補色・反対色]
◎赤で活性化する視覚細胞は緑では抑制され、緑で活性化する細胞は赤で抑制される(厳密には赤と青緑)。白で興奮する細胞は黒で抑制される。補色(反対色:赤と青緑、黄と青紫)は、混ぜると光では白色光に、絵の具では灰色(無彩色)になる、矛盾的関係にある。それに対して、赤と青は、共存可能であり、結合して紫となる。
[身体組織は拮抗的に制御される]
◎食べる行動は、視床下部が発する空腹感と満腹感の情動によって拮抗的に制御される。また、骨格筋の伸筋と屈筋、瞳孔の括約筋と散大筋は互いに相反して働き合う。さらに、心臓の鼓動は交感神経による促進と、副交感神経による抑制という拮抗作用を受ける。
[バトンを受けた走者(結果)は後には渡す番(原因)になる]
◎矛盾的自己同一は運動会のリレーである。バトンを渡す走者を原因と、それを受ける走者を結果と置き換える。バトンを受けた走者(結果)は半周か一周後には渡す番(原因)になる。だから、同じ走者は渡す人(原因)兼受ける人(結果)である、これまた一人の人間の中に矛盾を内包する。一つの行動は原因+結果である。私たちは往々にしてその内のどちらかしか見ない。
[静止するものは猛烈な速さで動く]
◎静止するものは実際には猛烈な速さで動く。だから、静とか動とかは相対的である。ある物が静止しているとは、他の物と同じ速さと同じ方向とを持つ、並行移動する。位置関係が変わらないので相手は静止すると見える。
[宇宙には静止するものは何もない]
◎だがしかし、大きく退いて宇宙全体を視野に入れると、宇宙自体が猛烈な速さで膨張するので、本当の意味で静止する物は全くない。ただ視点の取り方、置き方が違うだけである。
[一組の物理量の両者を同時に正確に測定・決定できないという不確定性原理]
不確定性原理は、量子力学において、粒子の位置と運動量、エネルギーと時間などの一組の物理量の両者を同時に正確に測定・決定できない、とドイツの物理学者ハイゼンベルク(1901-1976)はいう。
[物質は互いに排他的・共存不可能な二重性をもつ矛盾的自己同一]
デンマークの物理学者ボーア(1885-1962)が、量子力学に「相補性」を導入する。物質は、粒子(デジタル)性と波動(アナログ)性の互いに排他的な二重性をもつ。「位置と運動量」、「粒子と波」は、互いに補完的で、両者が補い合って足し合えば完全な記述となる場合、その両者は相補性を持つ。