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第六章 変化へ開く受容・開放と現状維持の対決・閉鎖 [46]制度(集団)は個性(個人)を育てもするが殺しもする

[46]制度(集団)は個性(個人)を育てもするが殺しもする
[慣習・組織は個人を育てるが殺す]
◎定型化し堅く構造化された仕組み・慣習・組織は個人を育てるが殺す、自身多くの子を持ち育てるのに、常に他の親から子を奪って食べる鬼子母神(後には改心して子育ての神)のように。
[制度は個人を自分への依存下に置こうとする]
◎制度・社会・集団は個人が(知識を取り入れる体系作りの)模倣段階にいる間はその個人を育ててゆくが、それを卒業して(知識を発信する)創造段階に入ると、逆にその個人を殺しにかかる。制度(全体)は個人(部分・要素)をどこまでも自分への依存下(システム内)に置こうとする。そうしないと、制度自体がその個人によって揺さぶられる。時には巨大地震のように制度を破壊しかねない。
[時代は移っても制度は移らない]
◎和久さん(踊る大捜査線)はいう、「正しいことをしたけりゃ偉くなれ」と。
◎時代は移っても制度は移らない。天才級の個人はその制度から飛び出して、その制度を土台にして新しい制度を建て増す。技量卓抜者はその制度の中に留まって内から破壊しながら変革・再創造・脱構築する。小人は制度の壁土となる。技量卓抜の個人は社会を小進化させ、天才級は大進化を生み出し、小人は星屑となる。上位に昇るほど大きな変革を可能にする。とはいえ、上位に着くほど身の保全にキュウキュウとする御仁は多い。
[家族・集団・社会から建築資材を取り入れて自分を構築する]
◎人は本能が半壊した生き物だから、家族・集団・社会から建築資材(知識)を取り入れて自分を構築しなければならない。本能が壊れたといったが、厳密には(完全ではないが)乗り越えた。私たちは、宇宙がするように、弁証法的に基礎(本能)の上に新しいもの(経験知識)をうち立てねばならない。
[個人はシステムで、上位システム(家族・集団・社会)の制御下にある]
◎個人は下位システムで、上位システム(家族・集団・社会)の統制下にある。個人の望みと上位システムの望み・目標とがぶつかった場合、上位システムは個人を抑圧しにかかる。それは自分と同じ目標を分かち合う間は個人を育てるが対立すればたちどころに殺す。免疫システムが当人と同質のものと異質のものとを区分けし、異質物には攻撃を仕掛けるように。
[制度は歩く道筋を教えるが、その道しか歩くことを許さない一本道である]
◎制度は廊下である、一本道である。歩く道筋を教えるが、その道しか歩くことを許さない。自分づくりをするのに無駄骨を折らなくてもすむが、その道しか歩めないので個性を殺す。生物進化(個性づくり)とは脇道にそれることである。自然界にこれほど多くの種があるのは、分岐して脇道へとどんどん分け進んだからである。大木がたくさん枝を広げて繁茂するように。
[ヒトは制度によって人間になれる]
◎世界にはオオカミに育てられた少年少女が何人もいた。小説界にはチンパンジーに育てられた自然界の守り神ターザンもいる。オオカミは人間の赤ん坊をオオカミにまで育てるが、その子どもたちは自力でオオカミから人間に育つことはなかった。マンガでは実現しているが。ヒトは制度によって人間になれる。人間はオオカミになり得るが、オオカミは人間に育てられても、人間にはなり得ない。とはいえ、近ごろ人間化した犬や猫も多く見かけるが。
[オオカミの経験がオオカミをオオカミにする]
◎さりとて、人に育てられたオオカミが野生の群れに返されても、仲間として受け入れられるかどうか。オオカミも群の中(制度)で育つうちにオオカミとしての知識・経験(同一性)を積むが、人間に育てられるとオオカミとしての(制度的)経験を欠く。
[潜在的可能性は経験によって開花する]
◎同様に人間は人間にまでなる潜在的可能性を持つが、人間との接触・付き合いによる数多くの経験が必要である。氏(潜在的可能性)より育ち(経験)である。とはいえ、無い物ねだりはできないが。仏教はここまでいう、人間は仏にまで成れる潜在的可能性(仏性)があると。
[自然(動物)界は個人を巣立ち(独立・自律)へと駆り立てる]
◎自然(動物)界は巣立ち(独立・自律)へと個人を駆り立てる、脱皮せよと教える。古い殻を脱ぎ捨てるエビがするように、地をはう虫から空を舞う蝶がするように、地中に住まう虫から空を舞うセミがするように、水中に住まうヤゴから空を舞うトンボがするように。
[制度を殺し尽くして解脱し、何物にも拘束されず、一切に透脱して自在を得る]
◎仏教は教える、「内においても、外においても出逢ったものはすぐに殺せ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親類縁者に逢えば親類縁者を殺してこそ、初めて解脱して、何物にも拘束されず、一切に透脱して自在を得る」と。
[心に巣食う制度を破壊して拘束を断ち切れ]
◎もちろん外にいる人間を殺せということではなく、自分の心に取り込んで今や巣くう仏・祖・羅漢・父母・親類縁者であるが。私たちは外にいる現実の人間に拘束されるよりも内(心の中)に住まう人々(制度)に拘束されることの方がよほど多い。フロイトは内に住み自我より高い階層にいる人々を超自我と呼ぶ。
[愛しい人々は心の中に住み続ける]
◎逆に愛しい人々が死んでも、心の中にその人々は生き続ける。寂しさは外の空白を内に住まう記憶で満たそうとする。その人々と会話すら交わせる。その人々と別れるには二度目の葬式(記憶と思い出の埋葬)をしなければならない。
[進歩を止めるものは排除せねばならない]
◎進歩を止めて固定させるものはたとえ仏であろうが、祖であろうが、羅漢や、父母や、親類縁者であろうが、殺してゆかねばならない。なんとすさまじい言葉であろうか。進歩のためならこれほどまで要求するとは。
[人を超えねば仙人には成れない]
◎中国の杜子春(芥川龍之介版)は道士から仙人になるための修行を施される。さまざまな感情の制御はみごとに成功したが、子供への愛情には打ち勝てず失敗に終わる。天才級になるにはここまで求められる。とはいえ、久米の仙人は一人の女性の足につまずいて堕落したが。
[神仏を尊びて神仏を頼らずと、武蔵がいう]
◎「神仏を尊びて神仏を頼らず」は江戸時代初期の剣の達人、「五輪書」の作者、宮本武蔵(1584-1645)がいった。
◎尊ぶからには上位に位置するが、それに依存しない(頼らず)。神仏=制度(上位システム)と読み替えれば、仏教と同じことをいう。
[芭蕉は、格に入り格を出でて、はじめて自在を得べしという]
江戸前期の俳人松尾芭蕉(1644-1694)は「格に入り格を出でて、はじめて自在を得べし」という。
◎国会内の額に入った爺様たちでは格(きまり・法則・方法)から出でて自在に変えられそうにない。自分の額を奉ろうと必死である。格を自我と置き換えても通用する。
[古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、新しき人を着なさいとパウロはいう]
キリスト教伝道者・使徒パウロは、「あなた方は古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主の形に従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着なさい」という。
◎造り主の形に従って新しくな(脱皮す)れば真の知識に至る。私たちは造り主の形(普遍・新しき人)に従わないで、自分独自(自我・特殊・古き人)に従う。私たちは真の知識(神のつむぎ出した知識)を求めないで、人間の作り出した知識でままごと遊びをする。
[外的人格も内的人格も経験・情報・エネルギーを与えることによって成長する]
◎内的世界は、誕生後に心の中に形成構築され、その中心(核)に自我がある。自我の下位機能である、ペルソナ(外的人格)もアニマ(内的人格)も経験・情報・エネルギーを与えることによって成長する。ついには自我すらも越える。
[ペルソナ優位の西洋とアニマ優位の東洋]
◎西洋はどちらかといえば、ペルソナ(外的人格)が優位でそれを育てることに一生懸命であり、東洋はアニマ(内的人格)が優勢である。とはいえ、日本から感性豊かなアニマが消えかかっている。
[前頭連合野は下位機能を抑制する働きを持ち、活発になれば精神は内向する]
◎ペルソナ(外的人格)が閉塞・停滞すると精神は内向する。前頭連合野は下位機能を抑制する働きを持つので、活発になれば内界に向かう。思考は外界から切り離された内部世界で働く。皮質下(脳幹)は身体的欲求の満足を目指すので、活発になれば外界に注意が向く。
[個性化は制度の上に個性を建て増す]
◎ペルソナは社会的役割との同一化(社会化)をうながす。個性化は集合無意識(制度・社会)への埋没から解放されてゆく、大地から芽吹く、制度の上に個性を建て増す。これはアニマ(内的世界)を育てることでなしえる。アニマは発酵釜のようであり、その中で米が徐々に酒に生まれ変わる。アニマの美酒を味わうには時間がかかる。
[個性開花はペルソナを割って奥にあるアニマ機能を発展させなければならない]
◎個性を花開かせるためには、自然が説くように殻を脱ぎ捨て、仏教がいうように仏を殺し、武蔵の言葉通り神仏を頼らず、芭蕉の教えるように格を出でて、パウロが述べたように新しき人を着なければならない。それが自己実現である。ユングは外界(社会制度)へ適応する機能をペルソナと呼び、内界で機能するものをアニマと呼ぶ。個性を出すにはペルソナを割ってその奥にあるアニマ機能を発展させなければならない。
[自然は多様性を求める、個性の開花(自己実現)を期待する]
◎一本道が分岐・枝分かれする理由、チンパンジーからヒトが分岐した理由は、自然は多様性を求める、個性の開花(自己実現)を期待するからである。自然は個人個人が多彩に花開くのを期待する、一つの細胞が分裂分岐を繰り返して多彩な細胞を作り出すように。
[成長は古いものの上に新しいものを積み上げる]
◎新しいものは古いものから芽を出す(温故知新)、ルネサンスのように。その新しいものもいつかは古くなる。古くなればそこからまた新しいものが芽吹く。自然は古いものをただ消滅させてしまうのではなく、古いものも新しいものと同じように生き続けることを望む。古いものの上に新しいものを積み上げる、生物進化でしたように。