宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第七章 自立(自律)と依存は閉鎖[開放]度の違い [50]他人を利用する支配と育てる愛・慈悲

[50]他人を利用する支配と育てる愛・慈悲
[強迫神経症は、支配不可能を支配・制御・操作しようと頑張る]
◎誰でも時として鍵をかけ忘れたのではないか、ガスの火を消し忘れたのではないかと気になり家に引き返す、家人に電話で確かめる。これはごく普通にあることである。それが行き過ぎ頭にこびりついて離れないで何回も繰り返し確かめる強迫神経症は、自己意志を離れて自律化した下位機能をあくまで意志によって支配・制御・操作しようと頑張る。かかりつけの医師以外信頼できない患者なのだろう。
[愛=自由=自立(自律)=調和=対等=受容]
◎愛⇔支配。自由⇔強制。自立(自律)⇔依存。調和⇔対立。対等⇔上下関係。受容(結合)⇔拒絶(分離)。愛=自由=自立(自律)=調和=対等=受容(結合)。支配=強制=依存=対立=上下関係=拒絶(分離)。
[愛のもとで調和が生まれ、支配のもとで対立が発生する]
◎貝の中にビーナス(愛と美の女神)が誕生するように、愛の下で調和が誕生し、支配のもとで対立が産声を上げる。真の自由は、対等・平等な関係(結びつき)の中で、承認し合う調和である。愛情は感情的なつながりで引きつけ合い、憎しみは排斥し合う。愛は相手をあるがままに信・受容・結合するが、憎しみは不快・拒絶・分離を生み出す。
[愛情は、相手の自由を認め、自律を尊重し、対等の協力関係を維持する]
◎愛情は、相手の自由を承認し、自律を尊重し、対等の協力関係を保持する、上位から温かく見守る視点は堅持するが。支配は、相手を束縛し、自分の下に依存させ(甘やかし・過保護・強制によって)続け、自立心をくじく。
[愛情の拒否は子どもの心に恐れ・不安感を植え付け、自律性の発達を妨げる]
◎愛情を与えないと、子どもは恐れ・不安感をいだき、自律性が発達せず常に親にくっついて離れない心境にまで至る。変形した支配欲から来る過保護を受けて育った子どもは他の子どもたちとの間に不安定感・依存性・神経質・適応困難を招来する。
[自我を優先させると他我を劣後させ、相手を支配関係に引き入れる]
河合隼雄がいう「関係性の喪失」は、家庭・社会・集団内の個人がバラバラに分裂(混沌化)する。支配はまだしも関係性を持つ。それだけまだましだともいえる。日本は個性・個人・自我を優先させる個人主義の意識がだんだん大きくなっている。自我を優先させると当然他我を劣後させ、相手を自分への支配関係に引き入れる。
[若者たちは自分主義]
◎現代の若者は個人主義(自分優先)というよりは自分主義である。自分と他人との間に透明の膜が築かれて、社会の中にあっても、自分の個室にいるが如き振る舞い態度である。他人は電波の届かない圏外にあり、自分のケータイでは受信しないかのようである。
[アウグスティヌスは自他の区別が消えてゆく受容対象の拡大を説く]
1)アウグスティヌスは、自己愛→隣人愛→神からの愛(アガペ・無償・無我の愛、仏教の慈悲と同じような愛)へと自他の区別が消えてゆく受容対象の拡大を説く。愛する、関係する、結び合う対象・範囲をどんどん広げてゆくことが成長の(最重要な)一面である。
[キリスト者は、何びとにも仕えず、何びとにも仕える]
2)ドイツの宗教改革者ルター(1483-1546)はいう、「キリスト者は、あらゆる事物の自由な主であり、何びとにも仕えない。キリスト者は、あらゆる事物に仕える僕であり、何びとにも仕える」と。
[あらゆる支配から脱却し、あらゆる愛を注ぐ]
◎前半を「支配」という点で述べ、後半は「愛」という点で述べる。前半はすべての支配からの解放(自由)を示し、後半はすべてを愛・慈悲で包み込む(仕える)方向を示す。前半は仏教的には小乗であり、後半は大乗に相当する。
[愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを堪え忍ぶ]
3)新約聖書のコリント人への(パウロがコリントの教会へ送った)手紙はいう、「愛は寛容であり、愛は親切である。愛はねたまず、自慢せず、高慢にならない。礼儀にも背かない。自分の利益を求めず、怒らず、受けた悪を気にしない。不正を喜ばず、真理を喜ぶ。愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを堪え忍ぶ」と。
[管理・支配中心の強制する性悪説]
4)アメリカのマグレガー(1926-1964)はX-Y理論を唱えた。X理論は、人間は本来勤労意欲を持たないので、アメ(賞)とムチ(罰)でやる気を出させ強制する、性悪説に基づく管理・支配中心の考えである。
[愛情中心の目標に向かって努力する性善説]
◎他方Y理論は、人間の潜在的意欲・能力を自発的に発揮するような環境を整え、目標を明確に示すと人は自己実現のために目標に向かって努力する、性善説に基づく愛情中心の考えである。整った土壌に舞い降りは種は芽を出すように。
[真の和は、千差万別の個性を発揮しながら普遍的な万人共通の基盤に帰一する]
5)芳賀幸四郎は「真の和」をいう、「人びとがそれぞれに独立独歩でその千差万別の個性を発揮しながら、しかもその個別差をこえた普遍的・根源的なもの、いわば万人共通の基盤に帰一して、相互に二にして二ならず、さればとて一の如くではあるが全く一ではない、という不二一如の関係になる」と。
[個性的に自律しつつも目標に向かって協力する]
◎個性を持って自律しながらも、大きな目標・目的のために、互いに協力しながら自身の能力を発揮する関係が不二一如ではないだろうか。例えば、心臓・肺・肝臓・胃などはそれぞれ別々の機能を持って働きながらも、その持ち主は目標を持ってまい進するように。
[個性発揮する個別の階層とその上にある普遍的基盤の階層とで成る重層的階層]
◎これなどは、独立独歩でその千差万別の個性を発揮する個別の階層とそれの上に位置する万人共通の普遍的・根源的基盤の階層とで成り立つ重層的階層と見なせばすんなり理解・納得できるのではないだろうか。