宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第八章 集団(全体・自己)と個人(部分・自我) [58]回心=発想の転換

[58]回心=発想の転換
[回心(改心)は俗世間から信仰へ心を向け変える方向転換]
◎回心(改心)は、何らかのきっかけによって世俗的生活や私的世界に対する従来の態度を改めて本来あるべき道に戻る、仏道に入る、悔い改めて信仰に目覚める、信仰へ心を向け変える方向転換である。自我に置いた視点を大きな存在に置き直すのが回心である。そして信仰は大きな存在に帰依し、その存在者に誘われて生きる。
[回心は砂時計である]
◎回心は、中央のくびれたガラス器に砂を封入して少しずつ落とす砂時計である。上にある自我が中央のくびれを通って、徐々に下にある自己(神・仏)に入ってゆく。中央にあるくびれ(自我否定)を通過しなければ向こうには通り抜けられない、逆対応である。
◎自我の砂がすべて下の自己の中に流れ落ちると、自我は無・空になり、空であった自己領域は砂で充満する。
[自我否定すれば、ラクダでさえ針の穴を通れる]
◎自我を否定さえすれば、ラクダですらも針の穴を通れる。キリストはいう、「富める者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がかえってやさしい」と。
ラクダも楽だと申しております。
[貧しい者は幸いなり、あなたは天国の入り口にいる]
◎自我否定は、自分の俗世間の物質的(精神的)持ち物を無価値として否定し去る。それによって神の国・天国(完全自我空却の国)に入る免許証が交付される。富める者が物質的精神的持ち物を否定するのは地獄の苦しみである。貧しい者は幸いなり。
[自我優位から自己優位への回心]
◎自我優位から自己優位への転換(回心)をシステム論でいえば、「自分は全体(自律・閉鎖)である」が否定され、部分(依存・開放・帰依)になる。それによって一段上位階層のシステムに組み込まれる、部分・要素として。パウロはキリストの下位システムに組み込まれる。
[見下ろすから見上げるへと回心(方向転換)]
◎「単語」が「文字」を見下ろすという上が下を見る方向から、「単語」が「文」を見上げる・仰ぎ見る方向への視線の転換である。見下ろすから見上げるへと回心(方向転換)する。
[独自の特質を捨て去ることによって、新しい特質が生まれる]
◎化学の世界でいえば、水素も酸素も独自の(自分の持てる)特質を捨て去る(自我否定する)ことによって、依存(部分と)して生きることを決めた時点で、酸素と水素が化合して水という、酸素にも水素にもない新しい特質が生まれる。(下位階層での)死と(上位階層での)再生の過程である。
[遺伝子は生物のためから生物は遺伝子のためへと発想転回]
◎科学の世界へ入ると、一般には遺伝子は生物のためにあると考えるが、イギリスの動物学者ドーキンスは遺伝子を利己的な存在と見なし、今までの考え方を転倒、発想を逆転させた。つまり生物は遺伝子のためにある、という。
[動物学者ドーキンスは主語(生物)と目的語(遺伝子)とを入れ替えた]
◎生物が内部に遺伝子を持つのではなく、遺伝子が生物を持つ。乗客が列車に乗るように。これは主語と目的語との入れ替えである。潔癖性の少年が症状に振り回されるように、生物は遺伝子に振り回される、という。
[生物内の目に見えない小さな遺伝子が生物を持つ]
ダーウィン進化論では、生物が環境に適応するが、ドーキンスの利己的遺伝子論では、適応は生物(個体)段階で考えるのではなく、下位(上位)階層にある遺伝子(情報)段階、遺伝子にとって適応的かどうかの判断がなされる。生物自身にとって不利であっても、その遺伝子にとって有利であれば、適応だと考える。
[階層によって判断は異なる]
◎例えば、ネズミの集団自殺も、個々(個体として)のネズミにとって不利に見えても遺伝子にとって有利かどうかが判断される。ネズミはこういうだろうが、不利と有利の「チュー」だと。逆にさらに広い視点を持つ生態系(ニッチ)からの判断(視点)もあり得よう。
[利己的遺伝子論は人間を主人公の座から引きずり降ろす]
◎ともあれ、ドーキンスの考えは人間を主人公の座から引きずり降ろし、そこに遺伝子を据える。生物を制御・操作する生物内の目に見えない小さな遺伝子が生物を持つ。これは胡蝶の夢ユングの夢と同じ主体の入れ替えである。とはいえ、利己的遺伝子論は下位階層による下剋上とも見なせる。