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第九章 能動・意志の意識と受動・本能・自動の無意識  [61]自律的能動=意志=手動と依存的受動=本能=自動

第九章 能動・意志の意識と受動・本能・自動の無意識
[61]自律的能動=意志=手動と依存的受動=本能=自動
[意志によって他者(本能)統制(依存)から自己(意志)統制(自律・自立)へと移行]
◎人間と動物の違いは何だろうか。意識は上から意欲(意志)し、無意識(本能)は下から衝動する(突き動かす)。人間は独立した自由な意志・志向性を持つ。意志によって、本能より上位階層に拠点(管制塔)を作って、その下にすべてを統一させることで、環境から強く影響される他者(本能)統制(依存)から自己(意志)統制(自律・自立)へと移行する。これはカントのいう自律である。
[拠点があるレベルを超えると自律・自立的活動を開始する]
◎拠点・核が知識・体験・力においてあるレベルを超えると自律(自動・自立)的活動を開始する、自ら光る恒星のように。自分の意志で変化させられない(下位階層の)自律反応も、自己暗示・バイオフィードバック法によって間接的に制御できる。
[人間は意志によって能動的に動くことができる]
◎動物は本能によって受動的に(我々人間側から見て受動であるが彼らにとっては能動的)動かされるが、人間は意志によって能動的に動くことができる。もちろん「できる」であって、誰もが「する」のではない。ほとんどの人間は時には感情に動かされる、本能に踊らされる、知性過剰に陥る。
[努力から習慣へ移行して初めて本物といえる]
◎「する」(プログラム化)のは、知情意を統合させて、意志(身心の統合拠点)が中心になって働く段階に到達してからである。「できる」(努力)から「する」(習慣)へと移行して初めて本物になる。
[意志は意識的に実行する内的意欲であり、それを持続させる能力]
◎意志は、自分にとって不快も伴う事柄・目標・目的を自発的で意識的に実行しようと決意する内側からの意欲であり、それを持続させる能力である。意志は反射的・直接的・衝動的・刹那的行為を抑制し、目的的行動を起こさせ、それを統制する。
[反射的無意識的本能的行動である笑いをこらえる随意(意志)行動]
◎意志によるのではない、自発的自然な笑いは反射的無意識的本能的行動である。泣き(吸気)と笑い(呼気)は生得的叫びで、リズミカルな発声と定型的な呼吸パターンを持つ。この運動プログラムは中脳と脳幹にある神経回路に依存する。
◎このような本能的泣き・笑いに対して歯を食いしばる、手で押さえる、顔をそらせるなどしてこらえる行動は随意(意志)行動である。
[大脳新皮質は脳幹・脊髄に抑制をかける]
大脳新皮質運動野は口と音声の脳幹運動神経回路に意志的抑制をかける投射(送信用配線)をする。霊長類の中で人類が最も強力に大脳新皮質の(電気コードのような)軸索を脳幹・脊髄に(タコが脚を伸ばすように)投射して抑制をかけ、脳幹などによる自動制御を手動下(随意制御)に切り替える。
[前頭連合野は反射行動を抑制し、高次の系列的階層的連合行動を指向する]
◎前頭連合野は単純な一対一対応的反射による単純な行動を抑制し、高次の系列的階層的連合行動を志向する。だから単に行動に抑制をかけるだけでなく、それらを大きな枠組みの中に取り込む。
◎入り切りスイッチを取り付けて動と停止を指示する。オーケストラの指揮者が流れるような音楽を引き出すために各演奏者に指示を出すように。
[衝動は知覚刺激・外的刺激がすぐに欲求・内的動機・注意に向かう]
◎意志(前頭葉)の未成熟な者は反社会的・直接的方法で願望を満たそうとする。衝動は知覚刺激・外的刺激が短絡(ショート)してすぐに欲求・注意を発動させてしまう。指揮者なしで各パートが勝手に演奏する音楽会のように。
[赤ん坊は眼前刺激に直に反応する]
◎例えば、赤ん坊は何かを見ればすぐ欲しくなる。母親はその注意を何か別なものにそらせることで解決を図ろうとする。このように赤ん坊は刺激に対してすぐに反応を示すが、逆にまたそれが意識から消えるとすぐに忘れてしまう。刹那に生きる存在である。彼らをまとまったつながった時間の中に生きさせるのが親・指導者の役目である。
[人間は創造的に自覚的にみずからのいのちを展開することができる]
◎大森曹玄はいう、「猛獣は母体からこの世に投げ出されたままで受動的に生かされているに過ぎないのに反し、人間は過去の必然を未来の自由に転ずるという自主性をもち、創造的に自覚的にみずからのいのちを展開することができるという違いがある。自己保存の生物的本能だけで受動的に生きるか、自己を否定することによって、かえって自己を越えた大きな自己、根源的な自己として自覚的に生きるか、の差である」と。
[ホップステップジャンプの三段跳びを仏教は求める]
◎本能(下位階層)による受動的に生かされる他者統制・他律・依存から意志による自主的・自覚的自己統制・自律・自給自足(自力)を経て、自我否定によって自我を越えた大きな根源的自己(上位階層)による他者統制・他律・依存(信仰・他力本願)というホップステップジャンプの三段跳びを仏教は求める。これは弁証法的展開である。
[動物はその時その時に存在する刺激に対して反射する]
◎動物は、条件反射が脳に記憶として残っても、後にその(条件反射を引き出す)条件刺激が加わる(共振する)まで、その反射は現れない。彼らの生活はその時その時に存在する刺激に対して反射するいわばその時限りの、行き当たりばったりの積み重ねである。
[人間では言葉が刺激の役目をする]
◎言語を持ち言語で記憶する人間は、実物・現物(刺激物)がそこになくても、言語を条件刺激として用いて実体刺激と同じ反応を身体に起こさせる。言葉が過去の必然を未来の選択(自由)に転じさせ、自覚的な自由な選択をもたらす。
◎日本人ならばだれでも、「梅」「レモン」と聞けば、酸っぱさが口に広がり口をすぼめまゆをひそめる。とはいえ、言葉と体験とがつながっていない者も結構いるが。体験を呼び起こす言葉を使いましょう。
[言語で記憶する人間は言葉によって作られる目的に向かって生活が統制される]
◎東大名誉教授、清水博は言う、「過去の経験は、経験の反省によって対象化され、概念化され、言語化され、意味や価値を与えられて、大脳新皮質に記憶される」と。言葉を用いることでこのように過去の経験をいつでも呼び出すことができ、それによって現在と過去とが手をつなぎ、継続性・連続性のある人生を送れる。さらに言葉によって作られる目的「五年以内に家を買うぞ」に向かって生活が統制される。
[言葉は人間に言語による執着をもたらした]
◎それは逆に「あいつのために俺は恥をかいた」という過去の経験に対して言語によるこだわり・囚われ・執着を生み、それ(過去の経験)が彼を突き動かす結果にもなる。このように未来を過去のために使うものも多い。
◎それゆえさらに言葉を越え出る(言葉の呪縛から解放される)階層にまで上昇せねばならない。階層が上がることによって、それ以下の階層を支配・統制・包越できる。