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第九章 能動・意志の意識と受動・本能・自動の無意識 [63]動く図(=意識)と背後・背景・文脈の地(=無意識)

[63]動く図(=意識)と背後・背景・文脈の地(=無意識)
[網膜の中心部分で注視する中心視と、網膜周辺で見る周辺視]
◎対象を網膜の中心部分で注視することを中心視といい、網膜周辺で見ることを周辺視という。中心視は視力・色識別に優れ、周辺視は明暗識別に勝る。じっくり観察するためには、見たい物を視野の中央に置かなければならない。その中心部は色を識別できる細胞(錐体細胞)が密集し、色・形を高い解像度で識別できる。
[視野領域は地(周辺)と図(中心)の二つの領域に分化する]
◎視野の領域は地(周辺)と図(中心)の二つの領域に分化する。「地」(無意識)と「図」(意識)を使うのはゲシュタルト心理学である。地は素材的性質を帯びて図の背後に延び広がる。それは周辺視・背景・文脈・前後関係・全体・右脳・無意識に当たる。
[図の領域は違和感を与えまわり全体の中で注目を引き浮き彫りとなる]
◎図は、まとまりのある完全な形を持つ事物的特質を備えて周囲から区切られて手前に定位され、図の領域は異質感を与えまわり全体の中で注目を引き浮き彫りとなる。それは中心視・焦点づけたもの・部分・左脳・意識に該当する。事物的特質と素材的性質との関係は舞妓さん(図・絵柄)と嵐山(地・背景)の関係である。日本の国旗は、白の地に赤の丸図が染められる。
[多種多様な刺激を受けるが、一部だけ知覚し残りは背景に留まる]
◎感覚器官は、常に多種多様な刺激・情報を受け取るが、全てが知覚(意識化)されるのではなく、極一部だけで残りは背景に留まる。その内で知覚部分が「図」で、背景部分が「地」である。図と地の境界は図に属し、それが図の輪郭となる。前景に月があっても、その部分の背後は欠けてはおらず、夜空は一面にある。したがって、図の方が地より手前に見える。
[図が流動的で、地が固定的と見なされる]
◎地の位置にあるものを右に動かしても、図が左(逆方向)に動くように感じる。図が流動的で、地が固定的と見なされる、将棋盤(地)と駒(図)との関係のように。私は坂道で信号待ちしたとき、前の車(地)が下がって来たのに、自分の車(図)が前に動いたと勘違いして思わず強くブレーキを踏み込んだドキッとした経験がある。
[言葉は図で感情は地]
◎そのことは視覚情報だけでなく聴覚情報においても当てはまる。例えば、図は言葉で地は感情。言葉に添える感情次第で意味はがらりと変わる。「ありがとう」(図)も、文脈(地・状況)によってまったく異なる。
[感情は情景描写が巧みである]
◎感謝を意味するだけではなく、「いらぬお世話だ」、「こんなのもらってもうれしくないわ」と込められる感情によってさまざまに様変わり。他の例では、私たち日本人は虫の音を図としてとらえるが、外国人には地(雑音)として聞き流す。
[全景を全景のまま区切らずに何心もなく平等に扱えばすべてが見える]
◎江戸時代前期の臨済宗の僧、沢庵禅師(1573-1645)は新陰流剣法の理論化に大いに貢献した。彼はいう、「一本の木に向かうて、其内の赤き葉を一つを見て居れば、残りの葉は見えぬなり。葉ひとつに眼をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向かひ候へば、数多の葉残らず目に見え候」と。
[何心もなく見るには苦しい修行を積まなければならない]
◎図と地とに分化させず、全景を全景のまま区切らずに平等に扱えばすべてが見える。しかしながら、「何心もなく」(注意・意識を働かせずに)がとてつもなく難しい。美人が通れば自分の意志を無視(下心の方が強い!)して、目はその後を追う。この目が悪い、「駄目」といっても、もちろんのこと聞く耳は持たない。

沢庵禅師逸話選

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