宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十一章 情報・物質・エネルギーの維持・相互作用・循環 [84]形(無意識)に添える・結びつく素直な心(意識)

[84]形(無意識)に添える・結びつく素直な心(意識)
[形に心を込めるのは素直である]
◎心のこもったお辞儀、形(行為)に心を込めるのは素直である。素直は、逆らわない、なすがままの態度、我のない、水のような態度である。あらゆる器の形に従って、隙間なくその形に入ってゆく、その形に添う。反対語は意地で、自分を通そうとする片意地である。その片意地は分離である。
[素直は上からの真理(情報)・力(エネルギー)に対しての服従である]
◎現代インドの思想家オーロビンド(1872-1950)はいう。超意識的なものへの上昇、意識の限りない拡大、対象と融合する調和感という超意識的変容は、上からの光・真理(情報)・力(エネルギー)に対して自分の存在全体を服従して捧げることによって得られる。自分を空っぽの器にすることによって水がなみなみと注がれる。素直は服従である。
[動物の性行為の内で、メスのしぐさは服従行為と同じ]
◎動物(それに日本人)にとって、身を低くする行為は優位者への服従を表す。動物の性行為の内で、メスのしぐさは服従行為と同じである。サルは、オス同士であっても、相手との優劣順位を確認するために性行為姿勢がとられる。この行為中一方は優位(オスの姿勢)を誇示し他方は無抵抗(メスの姿勢)を示して、お互いの無用な攻撃を抑止し社会関係を円滑にする。
[サルにとって尻見せは服従を、人間の尻・背向け・顔背けは反抗を示す]
◎人間は性行為の時に対面するのも、対等であることを示す意味も含まれる。サルにとって相手に尻を見せるのは服従を意味するが、人間にとって尻を向ける・背を向ける・顔を背けるとは、無視・軽蔑・反抗を、注目しないというさげすみを意味する。尻を向けるとは、自分の方が前で、相手の方が後という前後関係をも意味する。
[妻が夫を尻に敷くのは、夫を軽視するから]
◎妻が夫を尻に敷くのは、夫を軽視するからだが、現代日本では妻が夫を尻敷くのは家庭円満になる。しかしながらである、これは(いずれ夫となる哀しい未来を見る)息子の自尊心をくじく元凶である。今女性は輝いているが、男性はしょぼくれている。「息子を駄目にしたけりゃ、夫を尻に敷け」(夫の心の叫び)。
[競争原理で生きる動物にとって、目を合わせるとは、反抗・敵対を意味する]
◎野生のサルに出会ったとき目を見つめてはいけないと注意される。サル・イヌなど順位社会を持つ動物にとって、対面して目を合わせるとは、反抗・敵対を意味する。競争原理で生きる若者たちの間では、メンチを切ったとけんかになる。
[共生原理の下で目を合わせるのは和の証]
◎逆に共生(協同)原理にある人間社会では、先生や親から説教を食らっているときに、目をそらせるのは反抗心の現れだと見なされる。といっても、相手をにらみつける(競争原理で生きるとの証)のも反抗心を意味するけれども。
[上位者が見下ろし下位者が見上げ、上位者は胸を張り、下位者は背中を丸める]
◎雛壇に立って上位者が見下ろし、下位者が見上げる方式は、集団内での上下の位置づけ、秩序づけ手段である。皆が同じ平面上にいるときには、上位者は胸を張りそらせて上向き、下位者は背中を丸めて肩をすぼめてうつむく。
[競争原理優位は動物の段階で、人間の段階に至れば協同原理優先で生きるべき]
◎相手の存在を無視する村八分やいじめは相手を苦しめる強力な武器となる。非行集団など腕力によって順位を決める者は、サルと同じ原理で動く。競争原理優位は動物の段階であり、人間の段階に至れば協同原理優先で生きるべきだが、世の中はいまだに競争原理が幅を利かす。
[反抗は切る・分離する、服従はつなぐ・結合する]
◎反抗・敵対は切る・分離する、服従・従順はつなぐ・結合する。多くの動物にとって、切る行為は歯によって行うので、歯(牙)をむく対面態度は反抗を意味する。つなぐ行為は性行為によって象徴的に行われる。
[あいさつはつなぐ行為の象徴である]
◎つなぐ行為を動物のように性行為によって表す風習から、次第に抱き合う、握手する、目を合わせる、言葉を交わすと簡素化・形式化したのだろう。あいさつはつなぐ行為の象徴である。
[日本は頭を下げて上下を示す作法と目を見つめ合って対等に握手する作法が混在]
◎サルやイヌ社会と違って、人間社会は、目を合わせて、(対等の相手として)互いに相手を認(見止)める、受容するのが自然だろう。日本では頭を下げて上下を示すマナーと目を見つめ合って対等に握手するマナーとが混在する。
[原理の混在は混乱を招く]
◎若者にとって、どちらの原理で接するかに悩む、若者が大人と接することに躊躇するのはこの辺に原因があるのかも知れない。そのせいか、若者は大人とは違った敬語表現を紡ぎ出し始めている。