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このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十二章 階層構造を成す脳 [89]上位階層は下位階層からのフィードバック情報をモニターする

[89]上位階層は下位階層からのフィードバック情報をモニターする
[頭頂連合野は自分の動きを監視する]
◎身体再現地図を保持する頭頂連合野は自分の動きを監視する。運動すると、感覚器官(筋肉内筋紡錘[骨格筋の中にあって、その伸縮を感知する組織]・ゴルジ腱器官)が自分の状態を中枢神経系を通じて頭頂連合野に送信する。
[前頭連合野は、鏡に映る自分の姿を自分だと認識する]
◎前頭連合野は、鏡に映る自分の姿(フィードバック情報)を自分だと認識する、自分自身を(分離して)対象視する。これは自分自身の姿がどんなものかを知っていることを意味する。
◎それは大型類人猿(チンパンジー・オランウータン・ボノボ・ゴリラ)とイルカと人間が持つ機能である。哺乳類でもネコ、イヌ、ゾウ、ニホンザルやマントヒヒでさえも鏡に映る自分の姿を自分だとは認知しない。
[鏡に映る自分の姿に反応する乳幼児はその認識を改めてゆく]
◎鏡に映る自分の姿に反応する人間の乳幼児の観察記録によれば、第一段階は鏡に映る自分の姿に(他者として)笑いかけ発声し頬ずりする。第二段階は、鏡映像に見入り、その動く姿に手を触れ鏡の後ろをのぞき込み積極的に観察する。この時期の終わり頃鏡に映る像に尻込みし時に泣き出す。
[自分の鏡映像を他人視する段階から自分だと認知するまで]
◎第三段階(およそ2歳)は、鏡映像を自分だと認知して、恥ずかしげにチラッと鏡を見て、おどけた顔をして見せ、自分の顔に見とれる。母親が鏡に映る子どもの顔に対して、「あれはだーれ」との問かけに、自分を指さし自分の名前を答える。
[反省は、自分から一歩退いて自分を見る、フィードバック情報に注意を向ける]
◎鏡に映る自分の姿を見るような反省は、自己と自我との二者が必要で、自己(上位階層)が持つ情報を自我(下位階層)にフィードバックする意識化である。自分から一歩退いて自分を見る、直接外界情報にではなく、内界で反射されるフィードバック情報に注意を向ける。河の流れ(外部感覚情報)から身を引き離し、頭頂連合野に映し出された内容を自我(前頭連合野)が読み取る。
[鏡映像の自己認知は自己超越の根拠]
◎鏡映像を自分だという認知は自分を超越できるという根拠になる。自分を見る自分(主語)と見られる自分(目的語)とに分離して、見る自分が見られる自分より上位に立つ(逆転・回心する)ことが超越であるから。前頭連合野(上位階層)は頭頂連合野(下位階層)を上(現実の位置は上ではないが)から俯瞰する。
[受信者は送信者よりも上位]
◎同一システム内では同一情報の受信者は送信者よりも階層が上位にあり、送信した情報を送信者自身は受信できない。先天的に耳の聞こえない者は話せない、発話機能を持つので特別の訓練をすれば別であるが。
[感情は感情自身を受信できない]
◎発信中は受信できない、感情は感情自身を受信できない。感情(優位)状態にある時には自らの感情を感じ取れない。それ故感情は反省(過去を振り返って)の中でしか読み取れない。
◎しかしながら、反省された(前頭連合野由来の)感情はすでに生の(扁桃体由来の)感情そのままではない。気の抜けたビール、炭酸の抜けたサイダーではあるが、感情を鏡(前頭連合野)に映すことで言葉化できる。それは言葉の素晴らしさでもあるが、つまらなさでもある。下手すると、おいしいところを捨てたカスを味わうことにもなりかねない。
[だるまさんがころんだの遊び]
◎大きな樹や木の電柱を使って「だるまさんがころんだ」の遊びをしたのはもうずいぶん昔になってしまった。その遊びでは、鬼が樹に向かって目をつむりその言葉を唱える間、子供たちは自由に動き回れるが、唱え終わって、鬼が振り向いている間は不動の姿勢を取り続けなければならない。
[だるまさんがころんだの遊びは反省行為のゲーム化]
◎鬼=自我と、子供たち=自己モニターに映し出された自我の行動や森羅万象・現象と読み替えると、これはまさしく「反省」行為である。鬼が前を向いて目(心の眼・内界を見る目)をつむって言葉を発する(大脳皮質が活動)のは、外向的動作を示す。
[振り返る鬼は内省中]
◎その動作中森羅万象は(動き回る)無常である。鬼が後ろを振り返って見ている(内省・反省する)間、時間(反省内容)は(不動の姿勢で)止まっているので、自由に見渡すことができる。それは進行中の外界感覚情報を遮断しての内的作業である。
[鬼に捕まった子どもは反省材料]
◎動いて鬼に捕らえられた子供は、自我の注意に捕らえられた反省材料で、それが自我(鬼)に取り込まれ、自我の一部(思考内容)となる。お坊さんたちはこのような遊びを考え出して子どもたちを教化しようとしたのだろう。
[自我は常に流れ動く無意識を意識内に取り込んで意識化する]
◎自我(意識)は常に流れ動く(無限の時間と空間を持つ、つまり時間も空間も持たない)無意識を意識(時間と空間枠)内に取り込んで意識化する。丸ごとのケーキを切り分けるように。このように自分の内部で、自分自身をスクリーンのようにして、その上に流れ行くさまざまな感覚・欲望・観念などを観察することが自己究明・反省・瞑想である。
[反省ポーズでは効果は期待できない]
◎反省によって自分の行為を改めるならば、それはすばらしいものである。が、サルもすなる反省というものを政治家・企業トップもしてみんとてするなりの外向けの反省ポーズでは効果は期待できない。流れを断ち切っての上から下までの一新でなければならない。◎失敗した時どう動くかでその人の心の実力と人格が知れる。ほとんどの人は逃げの一手である。見苦しさ極まりない。でも自分自身はどうだろうか。