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第十四章 トップダウン哲学とボトムアップ科学 [103]宗教的普遍を直観したヘラクレイトス

[103]宗教的普遍を直観したヘラクレイトス
[火が万物へと変容していき、万物が火へと帰還してゆく]
◎「ロゴス」という言葉を初めて使用した哲学者ヘラクレイトスは、永遠に生ける火を万物の根源とみなす。火が万物へと変容していき、万物が火へと帰還してゆく。ビッグバン時の宇宙はまさに火の玉であり、水素の固まり太陽も火の玉であるから、火を万物の根源(出発点)とみるのは荒唐無稽ではない。火の玉が冷えながら次第に原子(物質の素)が生成されていったことを考えれば。また火=精神と見なせば、プロティノスヘーゲルと共通する。
[万物の流転を永遠に支配するのが調和・均衡と理法]
◎彼はいう、万物は矛盾・対立を契機として生成流転する。その流転を永遠に支配する、逆方向に働く二つの力を統一して一本の弓の弦にする如く、互いに対立し合うものを結合して万物を統一する、調和・均衡をもたらすのが理法(ロゴス)であると。
◎調和・均衡が拮抗作用・中道・矛盾的自己同一と同じならば、仏教的弁証法と相似である。ヌース=理性(ロゴス)=イデア=性=道と見なせそうである。洋の東西を問わず同じ月を見る。
[神の無分別と、人間の自我基準による恣意的な「正と不正」の分別]
◎彼はいう、「神にとっては万物が立派で善く正しきもの、だが人間たちはあるものを不正なものと、別のものを正しきものと思いなす」と。
◎すべてを立派・善・正とする神の無分別と、人間の自我基準による恣意的な「正と不正」の分別とを際だたせる。とはいえ、立派・善・正という言葉も分別であるが。しかし両者を包み込む言葉を人間はなかなか作らない。それが言葉の宿命かもしれないけれども。
[共通的世界秩序の下に生きる目覚めた普遍者と、私的世界にこもる自我優位者]
◎「目覚めているものたちには一つの共通的な世界秩序があるけれども、眠っているものたちの各々は私的な世界へとそれてゆく」と。
◎目覚めている者=(共通的世界秩序の下に生きる)普遍者=開悟者=道者と、(共有できない自分の夢の世界に沈殿する)眠っている者=(一人一人分岐した脇道にそれ私的世界にこもる)限定者=自我優位者と、を彼は峻別する。
[万物が一(性は天地万物の親)だと認識するのが直観(知恵・悟り)]
◎「私に聞くのではなく、ロゴスに耳を傾けて、ロゴスに従いつつ、万物が一であることを認めるのが、知恵(賢明)というものである」と。
◎私(自我)は分別をするが、自己(ロゴス)は万物が一(すべては互いに結びついた一つの統一体)だという。自己の立場に立って万物が一(性は天地万物の親)だと認める(認識する)のが直観(知恵・悟り)である。
[直観によって最高拠点に立つとすべてを一挙に認識]
◎神は全歴史を一瞬の内に全体知覚できると、ベルクソンはいう。哲学・宗教は最高拠点(第一原理)に立ってトップダウン方式ですべてを一挙に包括認識直観できる。科学はボトムアップ方式で個々の知識を合理的思考(知性)によって一つひとつ積み重ねて山(体系)を形成する。
[哲学・宗教が開いた道を科学は検証する]
◎哲学・宗教は、自らの知識・体験を聞き手に納得させる言葉(用語)を当時の世界・社会は持ち合わせないので、日常語や奇妙な表現で語る。それ故大きな誤解をも生み出すのだが。科学は当時の哲学・宗教が語る内容に少しずつ追いついて科学的で明確な用語で説明する。科学は哲学・宗教が開いた道を虫眼鏡で検証している。科学のそのようにして切り開いた言葉をいまや哲学・宗教が借用する。この世は循環である。