宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十五章 絶対無を目指す宗教 [110]混沌に秩序を与える宗教

[110]混沌に秩序を与える宗教
[仏教は人間の最終地点を仏(仏性開花)に置く]
◎フランスの考古人類学者・カトリックイエズス会司祭「シャルダン」(1881-1955)は、宇宙進化の最終目的を「人間」だとした。私も地球上における生物進化の最終地点を人類だと思う。彼は、最終地点としての人間がより高い精神の次元へと飛躍すべき決断に迫られていると、進化論とキリスト教を統合した宗教的進化論を主張した。仏教では人間の最終地点を仏(仏性開花)に置く。禅宗はそれを「悟り」という言葉で表現する。
[宗教は、宇宙法則に背いて個人的法則に従う生き方をあらためさせる]
◎宗教(一般)は何を目指すのか。個々の宗派は自らが寄って立つ階層を異にするだろう。人(一般)が、自らの(個人的)欲望に従って神(会社組織でいえば社長)の意志に背いた(分離した・離反した)自分を悔いて神との和解(再結合)を求める。
◎ここで「神」に強い抵抗を感じるならば、「自らの欲望」を「個人的法則」に、「神の意志」を「宇宙法則」に置き換えては如何だろうか。個人的法則に従い、宇宙法則に背いた生き方をあらためて宇宙法則の流れに乗り換えると。
[神・仏は、無限の潜在的可能性を持つ意識ある情報・エネルギー]
◎私自身も「神・仏」は抹香臭く・うさん臭く、お袋が神仏に頻繁にお参りする気持ちに強い拒絶反応を持っていた。けれども、要するに神・仏は、無限の潜在的可能性を持つ意識ある情報・エネルギー(一種の電磁波のようなもの・霊)だと解釈すると拒絶反応は消えた。私たちはそれらを受信・受容・同調・共鳴・共振することによって成長が促される。
[宗教目的は究極的価値・絶対的理念を求める]
◎他の宗教目的をあげる。物質的価値を超えた究極的(精神的)価値・絶対的理念を求める。絶対無との合一によって永遠の生命を得る。限定的な自分(部分・特殊)から無限定な全一的自己(全体・普遍・絶対無)へ回帰する。全的信によって神仏に帰依(すべてを善・真と信じてあるがままを受容)する。悟り体験によって絶対者を知る。
◎絶対無・神・仏は、生滅・陰陽・無有など矛盾が同一(矛盾的自己同一)している物質レベル(物質界)を超越した不生不滅(八不)世界である。ここが悟りの世界である。
[魂は肉体に閉じ込められている]
◎天国(最上階層)は魂(霊の限定・一部分)の故郷で、昔魂はアダムとイブのように天国に住んでいたが、地上に降り、肉体に閉じ込められた。肉体に閉じ込められる(楽園から追放されている)限り、つまり永遠の輪廻の環から抜け出せない(故郷に帰れない)という苦しみは消えない・解放されない。
[宗教は魂を肉体から救済する]
◎宗教は本来の居場所(最高階層)に戻れずに肉体に閉じ込められて苦しむ魂に故郷(本来の居場所)と、そこへ帰り着く道筋とを教え、そこまで導いてゆく、魂を肉体から救済する、かごに閉じ込められたカナリヤをかごから解き放ち大空(自然)のもとに返す。
[宗教は駒の色をすべて白へとひっくり返すゲーム]
◎宗教はオセロゲームに似る。オセロは二人で対戦し、64区画(=8×8)からなる四角の盤上に、黒白の駒を交互に一つずつ置く。相手の駒をはさむことによって自分の色の駒とする。それを繰り返して、全区画が駒で埋まったとき、自駒の数が多い方を勝ちとする。
釈尊やキリストは盤上の未だ決定されていない駒の色をすべて白へとひっくり返す(肉体を浄化する)ゲームの達人である。
[宗教は混沌に秩序をもたらす]
◎オセロの面白い点は、一つの駒を置くことによって驚くほど多くの駒が、即座に白が黒に、黒が白に反転することもあり得る。キリストや釈尊という「白い駒」(宇宙法則)が地上に置かれることによって世界中のおびただしい数の駒が黒から白へと反転(回心・改心)していった。
◎宗教は混沌(入り乱れる個人法則・自我の反乱・氾らん)に秩序(宇宙法則・コスモス)をもたらし、レーザー光線のように位相を揃える。とはいえ、それはそれでまたとてつもなく恐ろしい、と過去の歴史は叫ぶ。
[信じる・信仰するとは自分をあずけ同じ色に自らを染める]
◎信じる・信仰するとは釈尊やキリストと同じ色に自らを染める。そのことによって自分の中にあるすべてが白になった(頭だけでなくおも白くなる)時点が統一・天国・浄土・涅槃・悟りである。
◎信仰は、経験・知識・感性・知性を超えた(つまり人間を超越した)存在があると信じて、それに自分をあずける自覚的(盲目的では教祖に操られかねない)態度である。世に教祖に操られて悲惨な人生を歩まされた人々で充ち満ちている。
[システム内の要素間は互いに情報交換する]
京都大学の哲学教授で、西田幾多郎の影響を受けつつ対峙した田辺元(1885-1962)はいう、信仰は、「神の霊にはたらかれて、霊なる神を自己の根拠として自覚する」と。
◎宇宙を一つの巨大システムと考えると、自分はそのシステム内の微少な一要素であり、要素間は情報・物質・エネルギーを交換する。この交換は横の間でも、上下間でも行われる。それらは血液のようにシステム間を循環する。
[自らの存在根拠は上位が持つ]
◎誰でも働く(はたを楽にする・与える・愛する)よりも他から働かれる方が圧倒的に多い、栄養分に富んだ土壌としての環境は自分を育ててくれるありがたい存在である。法則(作動原理)は自分が作るばかりではなく、上位システムも作るので自らの存在根拠は上位が持つ。国民の存在根拠は国家(憲法)が与えるように、地球は太陽の周りを回るのに、自我は太陽が地球の周りを回っていると勘違いする、私たちの素朴な感想はそうであろう。知識はそうではないというが。
[普遍性の高い業績は広範囲に影響を与える]
コペルニクスダーウィン・キリスト・釈尊はある領域で成した偉業が波紋の広がるように広範囲の領域にまで多大の影響を与えた。今までの強固な固定的考え方をくつがえして新しい視点を、視点の転回をもたらした。それらの業績が普遍性の高いものだからだろう。普遍性が高ければ高いほど広範囲に影響を及ぼす。
[新しい視点の導入によって今まで見えなかったものが見える]
ダーウィン進化論はスペンサーの説明のようにその影響たるや物凄いものがある。新しい視点の導入によって今まで見えなかったものが見える・自覚できる。オセロ・将棋・囲碁でいえば、筋が見える。混沌の中に秩序を読み取る。
[人生の転回は挫折によってもたらされる]
◎人生の転回、人生に対する考え方を根本的にくつがえす新しい視点は、本人の意志によってではなく、多くは外からの事故・病気・災難・災害・親子の危機的断絶などの現状維持(今までの視点)を許さぬ事態や回復不可能なまでの挫折によってもたらされる。