宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十五章 絶対無を目指す宗教 [112]誠を尽くし私心を離れ自らも大地(自然)となる修行

[112]誠を尽くし私心を離れ自らも大地(自然)となる修行
[誠を尽くし、私心を離れ、自らも大地となれ]
鈴木大拙は、「日本的霊性」でかく言う、「大地に親しむとは大地の苦しみを嘗めることである。ただ鍬の上げ下げでは大地はその秘密を打ち明けてくれぬ。大地は言挙げせぬが、それに働きかける人が、その誠を尽くし、私心を離れ、自らも大地となることが出来ると、大地はその人を懐に抱き上げてくれる」と。
◎これはカウンセリング(さらに親子関係・対人関係全般)にも通じる言葉である。「大地」を「相手」と置き換えて見て下さい。
[大地に親しむことのできぬ者は仕事に打ち込め]
現代日本で実際に大地に親しむ状況にある人は本当に少ない。そういう者はどうすればいいのだろうか。幸いにも、石田梅岩が、「大地」を「仕事」に置き換えてくれた。自分が今努める仕事に親しめと。誠を尽くし、はからい(小ざかしい策)を消し私心を離れて仕事に打ち込めと。
[自己否定・滅却→自我が消えて仕事に完全没入→他力の働き出し]
◎「誠を尽くす」とは、自己否定・滅却の完成目指して、ウソ偽りのない真実の自力的努力に誠心誠意(素直に・従順に・全力投球して)励む。「私心を離れる」とは、さらに自力的努力をも放棄(超越)して無我・無心・他力に飛び込む。そうすれば、「自らも大地(自我が消えて仕事に完全没入・無我夢中)となる」と、「大地はその人を懐に抱き上げてくれる」(仕事自体が自律的に働き始める・他力が働き始める)。
[バンジージャンプは自力的努力から他力に飛び込む]
◎自力的努力から他力に飛び込むという点で、「バンジージャンプ」を思い浮かべる。それはもともとニューカレドニアの北諸島の成人儀式(通過儀礼)である。現在ではスポーツとして、数十メートル上空にあるジャンプ台目指して登り詰めた後、ゴム製の命綱を足に固定させて、そこから下に向かって飛び降りる。もう一つ思い浮かぶのは、室伏選手が「ハンマー投げ」をするシーンである。
[修禅の結果が時いたれば急に頓悟となって開花する]
◎小林太市郎は「禅の文化」でいう。「漸修頓証」について、「開悟証道はつねに思いがけなく突然来るけれども、しかしそれが来るためには長い歳月の修行がなければならず、久しく蓄積された修禅の結果が時いたれば急に頓悟となって開花する」と。
[黄身と卵白も時至ればヒナになる]
◎漸修頓証は、例えれば、黄身と卵白とであった卵の中身が時至れば、ヒナとなってその卵の殻を割る。外からは見えないが、内部では不断に変化が進行している。この変化を推進するものは、情報である。宇宙創設以来積み上げ積み重ねられて来た歴史である。
[肉体・自我を持つ自力の神秀と肉体を脱した他力の慧能]
◎中国唐代中期の禅僧神秀(605-706)は、「身は是れ菩提樹なり、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭して、塵埃有るを遺す莫れ」と自分の境地を語る。
◎同時代の僧慧能(638-713)は、それへの返歌の形で、「菩提はもと樹に非ず、心鏡もまた台に非ず、本来一物無し、何を仮りてか塵埃を払わん」と語る。
[神秀の自分の力を肯定する自力段階と慧能の自分を否定する他力段階]
◎自我に一物(樹・台・肉体)有ればこそ、そこに塵埃がつく。肉体を持たない意識・精神(菩提・明鏡)だけであれば(自己保存心・自我から発生する)塵を払う必要もない。神秀の自分の力・努力を肯定する自力段階に対して、慧能は自分を否定(本来一物無し)する他力段階(悟った後の心境)との違いをみごとに読み込む。後攻は相手の弱点をつつけるのでそれだけ有利ではあるが。意識が、肉体の側にある自力段階と、仏(魂)側にある他力段階の違いを見事に表現している。
[自我はものを吸い寄せる力があるので埃がつく]
◎「明鏡止水」と荘子はいう。鏡も水も心(この場合には肉体側の心ではなく魂側の心)を指し示す。ピカピカに磨かれた(肉体を脱した、脱我した)鏡はほこりを寄せつけない、静止した澄み切った水はものをくっきり映し出す。鏡・スクリーン(魂)は、さまざまのものを写すが、後を残さない、そのものが去れば映像は消える、執着しない。自我(コンプレックス・核)はものを吸い寄せる力があるので埃がつく。
[宇宙の根本原理としての道に従いながら歩む]
◎平安初期に真言宗を開いた空海(774-835)、弘法大師は、心を十住心(十段階)の階層に分ける。これは修行によって心が発達・発展すると考える。その内の一つとして、宇宙はただ一つの道理があり、無為自然だと悟る「一道無為心」を提示する。
◎これは、道教老荘思想で、1)宇宙の本体、2)宇宙の根本原理としての道、3)世界全体を律する法、4)それに従いながら歩む道を意味する。さらに5)武芸の世界を律する道をも表す。道は、万物の根源であり、それらが展開(歩み)する原理・法則・力を持ち、それを万物に分与する。
[真理に服従し没入し無我の境地にあるときに自由(=必然=自然)を得る]
◎無我の境地で道(真理)に没入し素直に従うときに自由(=必然=自然)を得る。自然は、精神面では意識化しないで無意識に振る舞い、肉体面では硬直化しないで流れるような柔らかい動きをする。その時自由に振る舞い、宇宙法則に従った結果として必然的に導かれる活動となる、晩年の孔子のように。
注)孔子の言葉「七十にして己の欲する所に従えども矩(のり)を踰こえず」
[宇宙の根本原理にかなう無為自然こそ永遠真実の道]
道家は、陽が極まれば陰にその道を譲り、陰が極まれば陽にその所を譲る、一陰一陽(矛盾的自己同一)、これを(必然の)道という。仁義道徳や法的規制は真の道に逆らう人為(人的法則)であり、真の道は人為以前のものであり、宇宙の根本原理にかなう無為自然こそが永遠な真実の道である。
[人為以前(以下)(動物段階)→人為(人間段階)→人為以降(以上)(霊性人段階)]
◎真の道は人為以前とあるが、厳密には人為以上である。人為以前(以下)(動物段階)→人為(人間段階)→人為以降(以上)(霊性人段階)へと(弁証法的に)進む。しかしながら、現段階では道徳や法的規制を取り払えば、自然に必然的に無為自然へと移行(上昇)するとは考えられない。現日本では規制緩和が叫ばれているが、強い自我(自分最優先)を持つ者が得をする現状が改まらないかぎり一挙の撤去(無法)は社会の破壊だろう。

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