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第十五章 絶対無を目指す宗教 [115]瞑想・坐禅・坐忘・読経・念仏・真言は無我の境地(三昧)を求める

[115]瞑想・坐禅・坐忘・読経・念仏・真言は無我の境地(三昧)を求める
[坐禅は自我内に構成された自他対立の外的世界像の脱構築を目指す]
坐禅は意識を伴ったレム睡眠である。眠りも外向から内向へ転換する(鎖国する)が、坐禅はさらに外的世界の遮断・受け流しによって、外から内へ、内から外への情報の流れ(昼間の活動)を断ち切って、内部間での下から上への情報の流れを作り出し、下位階層にあった(無意識内に抑圧抑留された)観念(経験知識体系)を最高階層(意識内)にまで上昇させ意識化(受容)する。
◎そのことによって自我内に構成された自(意識)他(無意識)対立の外的世界像(感覚経由の外部情報体系)の脱構築(解体)と一本化(統合)を目指す。達成すれば、葛藤のない完全統合された階層構造的知識体系が構築される。
[直観的に直接自分の本心・本性を見極め開悟・見性し成仏する]
◎「直指人心見性成仏」は禅宗を端的に表現する。理論によって知性的に知るのではなく、坐禅によって、直観的・体験的に直接自分の本心・本性(仏の真理・仏性)を見極めて開悟・見性・成仏する。直観的・体験的(直指)なので、不立文字であり教外別伝である。
[坐忘は身も心もうつろになり切って道の働きを受け入れる]
道教の修行法である坐忘は、五体から力を抜き去って、すべての感覚をなくし、身も心もうつろになり切って(身心脱落して)、道の働き(他力)を受け入れる・冥合する。これは坐禅との違いはそれほどないのではないか。
[読経・念仏・真言を繰り返し唱えることで、精神集中・禅定・三昧が得られる]
◎読経・念仏は通常正座して合掌する。正座と合掌によって筋肉の緊張が持続し、大脳新皮質へフィードバック情報が送られ、大脳活性持続力となる。称名によって呼吸が調えられ、リズミカルな流れが醸し出される。さらに称える声だけが響き、他の感覚情報を覆い隠し、注意を一つに集中させる。これらによって三昧境地が得られる。
密教真言(マントラ)を繰り返し唱えることで、精神集中(心を散らさないで一つのことに集中する)・禅定(心のはたらきが静まり澄み切る)・三昧(自分の意識が消えてものだけが光りかがやく)が得られる。
[体得すべきを知的に内容を理解するのは学校教育の悪しき一面]
◎私は若い頃お袋が仏壇に向かって念仏を唱える背中を見ながら、意味も分からない念仏を唱えて何になるのだろうとばかばかしさ・無意味さを感じた。お経は知的に内容を理解すべきだ、内容を理解してこそ向上があると思った。これは今にして思えば、学校教育の悪しき一面であろうか。お袋の体が前後左右に大きく揺れるが、後で聞いてみると、「そんなこと知らんで」という。
[下位の読経機能が働くときだけ無我になれるが本尊は依然として自我像]
◎唱える姿が無我の境地に入っているのではと思える時もあったが、無我の境地から出て来たお袋は以前(依然)のママの自我丸出しのおや親であった。下位の(無意識階層にある)読経機能が働くときだけ無我(他の機能の停止)になれるが、本尊は依然として(意識優位の)自我像である。
◎日常生活に戻れば、自我像を本尊として暮らし、(心の奥座敷に鎮座する)本物の本尊はほこりまみれになって捨て置かれる。多くの宗教者の仏壇もしかりであるようだ。

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