宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十六章 絶対無に憩う悟り  [118](肉体的)愛着・執着・固着(過去と現在)から(精神的)目標・目的(未来)へ

第十六章 絶対無に憩う悟り
[118](肉体的)愛着・執着・固着(過去と現在)から(精神的)目標・目的(未来)へ
[肉体は欲求とその満足との間を振り子のように動く]
◎肉体は物質的欲求とその満足との間[空腹・不快感→摂食行動への動機づけ→行動→結果(満腹)→満足・快感]を振り子のように拮抗的に動く、糸車のように円循環する、輪廻する、リサイクル、永劫回帰する。
[精神は階層を登り詰めるまで飽くことなく求め続ける]
◎身体に根ざす本能(肉体的欲望)は「拮抗作用を持つ自動的入り切りスイッチ」(自動制御装置)を持ち、満足すれば「切り」が入る。所が、精神は「切り」スイッチを持たないので、精神に根ざす欲望には「切り」がない。精神は階層を登り詰める(神に帰り着く)まで飽くことなく求め続ける。それが物質に向かうとどこまでも止めどなく突き進みゆく。精神が物質に向かうと猛獣よりも恐ろしい。物質は精神を猛獣と化す。
[精神は目標・生き甲斐を失うと堕落・頽廃する]
◎精神は人生の中で未来の目標・生き甲斐へと目を向ける。しかし未来から手招きして生きることを動機づける(欲求する)事柄がなくなると、精神は堕落・頽廃する。堕落から来る執着・こだわり・停滞・執念・固定・束縛・煩悩は物事にとらわれた向上を忘れた振り子運動である。
[肉体は地面をはい回るが、精神は天まで行き着く力を持つ翼が備わる]
◎精神は精神的空腹を感じても、物質面では本当の満足・快感を得られない。そうなれば、上昇力を失った振り子のように満足を求めて永遠に水平に揺れるだけの行動(永劫回帰)となる、肉体がそうであるように。
◎肉体は地面をはい回るが、精神は、ギリシア神話に登場するペガサスのように、天まで行き着く力を持つ翼が備わる。
[万物はその時その時を楽しむ小道具(空)にすぎない]
◎「本来無一物」、万物はその時その時を楽しむ小道具(空)にすぎないのだから、執着すべき対象は何一つないと仏教(特に禅宗)はいう。自我すらもその時その時を楽しむ拠点(居場所)に過ぎない。自我は「覗きからくり」ののぞき穴であり、それがなければ世間を観賞できない。
[修行は、愛着・執着・欲望を切り続けて最高地点に到達する]
◎修行は、物・人への愛着・執着・欲望を切り続けて最高地点への到達を目指す、砂袋を捨てながら空高く上昇を続ける気球のように、エベレストの登頂を目指す登山家のように。修行は、過去では有用であった下位意識・機能(習慣)が作動しないように意志力(抑止力)を強める。上位拠点が下位拠点を(交通)管制する。
[成長の階段を昇ってゆくためには強力な前頭連合野がぜひとも必要]
◎前頭連合野は欲望を抑制する。成長の階段を昇ってゆくためには強力な前頭連合野がぜひとも必要である。修行は、自動運転・自動制御する下位機能に、前頭連合野が他者制御を可能にする「入切」スイッチを取り付ける、不随意(自律)機能の随意化(依存化)である。
[順調に成長・発達してゆけば、それにつれて取り組むべき対象(発達課題)も変化]
◎固着は、発達途上で行動様式や精神的エネルギーの投入対象を固定して、それ以後の発達をさまたげる。順調に成長・発達してゆけば、発達につれて取り組むべき対象(発達課題)も次々と入れ替わってゆく、心もそれらを求め続ける。一つに飽きたらまた他のものを求め続ける。
[固着した子どもは社会から逃避的になる]
◎しかし、子どもに固着(盲愛・心理的依存)した母親は、自由な発想(視点)がとれなく、母親としてしか行動できず、子どもの気持ちや第三者的な視点が持てない。同様に母親(中心的環境)に固着したあるいは母親から強く固着された子どもも成長が止まり、以降の発達課題をこなせなくなり、やがて社会から逃避的になる、殻に閉じこもり岩にへばりつくフジツボのように。
◎とはいえ、戦場からいったん退避する防空壕を必要とする子どもたちも大勢いるが。その子どもたちにはベースキャンプを提供すべきであるが。
[具体的事柄を伴わない抽象では反応は弱まってゆく]
◎パブロフのイヌに無条件刺激(肉)を伴わず条件刺激(ベルの音)だけを与え続けると、以前ベルの音だけで出されていた反応(よだれ)は次第に弱まりついには制止される。といっても、反応はただ制止(抑制)しただけであって、消え去ったわけではないが。
[恐怖記憶は、大脳新皮質感覚野がニューロンを投射して抑制する]
扁桃体に入力・固定された恐怖記憶は、大脳新皮質感覚野がニューロンを、タコが足を伸ばすように、クモが糸を降ろすように、扁桃体へ投射して恐怖記憶が発信されるのを抑制する。例えば、聴覚的恐怖記憶は大脳新皮質聴覚野からニューロン扁桃体へ投射(配線)され「切り」スイッチが取り付けられる。
[修行によって我慢・忍耐することで反応・執着は抑制される]
◎修行によって我慢・忍耐(反応制止)を繰り返すことで、ニューロン扁桃体へ配線して「切り」スイッチを取り付けるように、反応・執着は抑制される。しかしただ単に押さえつけるだけでは空(本来無一物)の世界に安住して、頂上に住み着き下山しない、尺八のすべての穴を塞ぐ、音無しの世界に住む。
◎すべての穴をふさげば直ちに死んでしまう、自我だけが死ぬなら構わないのだけれども。やるべきは、無心ですべての穴を次々に自在に塞ぎながら豊かな音色を奏でるエネルギーの表出が必要である。余剰エネルギーは散逸を求める。
[下位の欲求を塞げば上位の欲求にエネルギーが回って来る]
◎子どもの頃たまに見かけた虚無僧は、深編み笠をかぶり、袈裟をかけ、尺八を吹いて全国を遍歴修行する托鉢僧である。虚無僧が吹く尺八(どんな笛でもそうだが)で低音部の穴を塞げば、高音が出る。下位の欲求を塞げば上位の欲求にエネルギーが回って来る。抑圧による昇華である。
[幅広い音域を使うと表情豊かな音楽になる]
◎とはいっても、高音部だけでは豊かな音色とはならない。ガラスを爪でひっかいて出る音のように、高音部だけの笛をピーピー吹かれたらたまったものではない。私も身近でよく聞かされるが。低音部から高音部まで幅広い音域があるから表情豊かな音楽になる。
[抑圧された無意識的観念・体験は身体(下位階層)から症状・病気となって表出]
◎抑圧された(出口をふさがれた)無意識的観念・体験が意識内に浮上できないと、往々にして下位階層にある脆弱な身体部分からせきを切って症状・病気となって表出・噴出する。抑圧すれば必ず昇華されるとは限らない、尺八とは違って。