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第十六章 絶対無に憩う悟り [119]遊びを忘れた大人と遊びをなくした子ども

[119]遊びを忘れた大人と遊びをなくした子ども
[子どもの遊びは心身機能を発展・発達させる]
◎子どもの頃には実にさまざまな遊びがあった。今や「かくれんぼ」・「鬼ごっこ」などの遊びを見かけることはめっきり少なくなった。機械式ゲームも遊びだといわれればそうだと答えざるを得ないが。
◎体はエネルギーの生産工場でもあり、体を使う・鍛えることによってエネルギーあふれる体力を身につけられる子どもの遊びは、体を使っての自己表現の場であり、学校生活とは直接関係のない(大人から)独立した自発的な遊びそのものを楽しむ。また心身機能を発展・発達させ、現実場面での効果的対処法を先輩から学び経験を積む。
[遊びは精神安定・社会性修得などたくさんの効能を持つ]
◎遊びを通じて技能が自然に身につき、ルールの中で自由に振る舞うので感情(不安・不満)の浄化によって、精神的安定が得られ、社会的つながり(集団意識)を形成し、ルールをその場その場に合ったように変更しながら社会的規則を習得する。
[遊びはさまざまな感情体験の場を提供する]
◎「かくれんぼ」は、最初に見つけられた者が次の鬼(役割交替)となる。鬼は自分を捕まえる悪者であるが、自分を捜し求める善人でもある。自分を捜し出そうといろんな所をのぞき込むのを物陰からハラハラしながらもほくそ笑む。いくら待っても見つけに来ない鬼に子どもはがっかりし寂しさも味わう。ハラハラどきどきを楽しみたいのである。このように遊びの中でさまざまな感情体験をする。
[行政による制度的整備を伴う遊びの場を子どもに与えよう]
◎子どもの頃に遊びを経験すれば、大人になってかくれんぼ(ストーカー)をしなくてすむだろうに。放課後の小学校校庭をボランティアによる遊び広場として開放しては如何だろうか。行政による制度的整備はいるだろうが。
◎遊びの持つ機能・効用をもっともっと認識して欲しいものである。文化そのものは遊び心である。豊かな文化は豊かな遊びから。日本の大きな柱にすべき課題である。
[子供たちは「空」を知った上で、無心・無邪気に遊ぶ開悟者]
◎幼い子ども達は道ばたに落ちている木の切れ端を見つけると、単に木の切れ端だと分かってはいるが、それを飛行機だと見なして、一時を無心に遊ぶ。子供たちは「空」を知った上で、無心・無邪気に遊ぶ覚者(開悟者)である。自分たちは悟っているとは知らないけれども。
◎大人になるとその悟りが消える(堕落する)のは寂しい限りである。しかし近頃いい意味でも悪い意味でも心理的に大人になっていない身体大人が大勢いる。いい傾向だと解していいのだろうが、特に先端分野に多い。悪くいけば犯罪者になり、中間層にニート階層が形成されつつある。
[空はレゴがバラバラのままに揃えられた遊び場]
◎「空」はあらゆる種類のレゴ(組立用チップ)がバラバラのままに揃えられた遊び場である。子供たちはそのレゴを直観に従って、心のおもむくままに組み立ててゆく。それに引き替え、大人たちは既製のおもちゃを本物のお宝だと信じ込んで人生をかけて執着する。彼らこそ子どもに笑われる本当の裸の王様である。
[大人たちは空を知らずに、木の切れ端に執着する]
◎子どもは無邪気なのだと大人はいうけれども、大人は木の切れ端を飛行機だと信じ切って無我夢中で追いかけて一生を終わる。街に裸の王様が夢うつつでうごめき回る。仏教者(ほとんどの仏教者自身も実は裸の王様だったりするのだが)はその事実に目覚めよと呼びかける。大人たちは「空」を知らずに、木の切れ端に執着する。
[なぜ大人たちは大切な一時を楽しく遊ばないのだろうか]
◎大人たちが人生の遊び場に並べられているおもちゃを血眼になって「宝石だ、外車だ、あれが欲しい、これも欲しい」と、砂糖に群がるアリのように、奪い合う様を幼い子ども達は唖然として見つめる。なぜ大切な一時を楽しく遊ばないのだろうかと。
◎今の子どもたちを白けさせないで下さい。大人のそのような姿に白ける子どもたちはたくさんいるんです。大人はそのように白ける子どもたちを批判するけれども。大人は鏡に映る自分の姿を攻撃しているに過ぎないのですよ。