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第十六章 絶対無に憩う悟り [123]恍惚・超越は自我(波)が砕け散って自己(仏・光)が顕現する瞬間

[123]恍惚・超越は自我(波)が砕け散って自己(仏・光)が顕現する瞬間
[坊主は、頭から髪を取ることによって、神に直接頭をさらす]
◎坊主(住職・僧侶)は頭から髪を取ることによって、神に直接頭をさらす、神に直結する。今の坊主は頭に髪をつけてはいるが、神からは遠く離れている。その身代わりに昔は居なかったカミさんが始終そばにいる。
[神は現実世界を通じて自分を表現する]
◎教祖は神を信者へとつなぐ仲介者・媒介者・通路である。教祖は往々にしてそのことを忘れ去る。下手をすると神をさえぎる、神の前にたちはだかる壁と化す。釈尊やキリストは神の大先達である。神(普遍者)は現実世界の何か(特殊・限定)を通じて自分を表現する、自己実現する。
[神のスポークスマンのカリスマは今では髪をゆう]
◎最近「カリスマ」がちまたを駆けめぐるが、元々は奇跡を起こし神の言葉を伝える特殊な能力、超自然的・スーパーマン的・超日常的能力・性質である。それに比べて今のカリスマはあまりにも軽い、カミ(紙・髪・神)のように軽く扱われる。
[聖の体験は戦慄・魅了・神秘・畏怖・魅惑・恍惚を与える]
◎ヌミノーゼ(宗教感情・宗教体験)は、「聖」(未知の巨大なひれ伏したいほどに神々[光々]しいもの)を体験したときの戦慄・魅了・神秘・畏怖・魅惑・恍惚である。
◎その瞬間は、時間・空間の解体・超越、神と合一した至高体験・忘我・恍惚・有頂天・呆然自失・神がかり・神秘的境地、生命が潮のように全身を満たし、至福感に満たされ、自分と全世界が渾然一体とした調和の中にある。
[時間の中にあるものには生滅がある、空間の中にあるものには物質がある]
◎時間の中にあるものに限って生滅がある。時空を越え出ると生死を離れる(不生不滅)。時間・空間は、ある階層から下のものに課せられる枠組みである。超越は、あるものを超え出てその上に位置する、つまり一つ階層が上がる。「超越」の反対は「堕落」だろう。
[開けゴマで浄土に往生する]
◎アラブ文学の古典的名作「千夜一夜物語」にある「アリババと四十人の盗賊」で、盗賊達が財宝を隠した洞穴をあける「開けゴマ」は浄土に往生した瞬間かもしれない。開けると、黄金の輝きが部屋を満たす。
[自我(肉体・自力)が死ぬ(往生)と、自己(仏性・他力)が迎え(来迎)にやって来る]
◎往生は、この世を去って他の世界(極楽)に生まれ変わる。来迎は、死ぬ際に一心に念仏すると、阿弥陀仏や菩薩が迎えにやって来る。自我(肉体・自力)が死ぬあの世に行く(往生)と、自己(仏性・他力)が迎え(来迎)にやって来る。往生するには肉体の死はいらぬ、自我・自力の死(即身成仏)があればよい。とはいえ、自我を殺すには往生するが。
[来迎する影が本物のお前で、その影を見る自我は偽物]
◎高い山の頂上で日の出・日没時に濃い霧が立ちこめると、仏様が光背(後光)を背負って来迎する像(ブロッケンの巨人)が見える。実はその仏様と見えたのは自分の影である。仏教はその影(仏様)が本物のお前で、その影を見るおまえ自身(自我)の方が偽物だという。自我を捨ててその影に飛び込めと呼びかける。
[今の自分から別な自分へと死と再生を敢行せよ]
◎本当にそこに向かって飛び込むと(肉体が)死ぬ。それを外的に行うのではなく、内的作業としてである。自殺者の何割か(特にうつ病者)は深奥から来る内的自殺の呼びかけに外的行為で応じたものではないだろうか。今の自分(自我)から別な自分(自己)へと死と再生を敢行するようにとの呼びかけに。

学び その死と再生

学び その死と再生

  • 作者:佐藤学
  • 太郎次郎社エディタス
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