宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十六章 絶対無に憩う悟り [127]自然の流れ(一時の悟り体験)に身をゆだねる武道と芸道

[127]自然の流れ(一時の悟り体験)に身をゆだねる武道と芸道
[知性的・静的な西洋芸術と仙人風の東洋芸術]
アポロンギリシア神話に登場する、音楽・詩歌・弓術・予言・医術・家畜の神、知性的・静的な芸術の神でりりしく美しい青年と見なされている。
久松真一は「禅と美術」で、禅が芸術面に現れ出た七つの性格[(均斉を越えた)不均斉・簡素・(長・老)枯高・(無心の)自然・(奥床しい含蓄の)幽玄・(規則を突き抜けた)脱俗・(動中の)静寂]を提示する。
アポロンが若々しい美青年とすれば、禅が醸し出す風格は白いひげを生やして杖を持つ仙人風の老賢者(西洋にも時たま出現する)である。なお仙人は人間でありながら永遠の生命を獲得して不死となった者で、天空を飛行する能力を持つ、つまり(永遠・不死によって)時間と(天空飛行によって)空間を超越した超人。
[神をあなたのうちで働かせなさい。神に行いをゆだねなさい]
◎「魂の内における神の子の誕生」(梵に対する我の覚醒)を核として、托鉢修道会ドミニコ会で布教活動をしたエックハルトはいう、「神をあなたのうちで働かせなさい。神に行いをゆだねなさい」と呼びかけた。
◎日本では(東洋でも)武道・芸道など道一般は彼と同じことを要求する。
[道は、型を身につけ、意志を捨て去り、自分を明け渡し、流れに身をゆだねる]
◎様式が16世紀千利休により完成された茶道は、茶席での動作をこと細かく定める。それを何度も何度も繰り返すことによって、型を身につける。道は、型を身につけ、意識・判断・意志を捨て去り、自分を明け渡し、流れに身をゆだねる。エックハルトがいったように。
[我は没して神自らが現に筆を執りつつある]
エックハルトの「神をあなたのうちで働かせなさい。神に行いをゆだねなさい」を文字通り実践した、明治時代のキリスト教信者・思想家・評論家綱島梁川(1873-1907)は「枕頭の記」でいう。「我は没して神みづからが現に筆を執りつゝありと感じたる意識」と。
[絶対者が自己の上位システムになる体験]
◎彼は夜中に物書き中に神秘的融合を体験した。彼はこれを見神(神の出現)体験だと考える。神秘的融合(合一)は、自分は絶対者に吸収され尽くして無(脱我・忘我・無我・無心)になり、絶対者が真の自己の根拠(上位システム)になる体験である。
[山川が予に脱胎するなり。予が山川に脱胎するなり]
◎さらに同様の体験をした、中国明王族の一人石濤和尚は「画語録」でいう。彼は中国の明末から清初に生きた画家で明滅亡後に出家する。「山川が予をして山川に代わって言わしむるなり。山川が予に脱胎するなり。予が山川に脱胎するなり」と。
◎この場合は神自身とではなく、自然との融合である。鈴木大拙もこれに似た(松の巨木との融合)体験をしている。
[自我が意識的な努力で自己のものとした能力や技量を「それ」が駆使する]
◎オイゲン・ヘリゲルは「弓と禅」でいう。弓は的に当てることが目的だというヘリゲルの言葉に対して、阿波研造師範が声を大にして、「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ!あなたがあくまで執拗に、確実に的に当てるために矢の放れを修得しようと努力すればするほど、ますます放れに成功せず、いよいよ中りも遠のくでしょう。あなたがあまりにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。あなたは、意志の行わないものは何も起こらないと考えていられるのですね」と。
◎そうではなく、「自我の代わりに"それ"が入って来て、自我が意識的な努力で自己のものとした能力や技量を駆使する」と。
◎自我的努力(自力・意志的意識的努力・意図的目的的思考)から他力(下位機能の自律性、あるいは上位システムとの合一)へと身をゆだねるべき理由をたくみに表現する。
[内的集中度が強くなれば、外の刺激が色あせ、邪魔に感じられない]
◎師範の言葉を実践しついにその実現を果たしたヘリゲルは自分の体験を語る。「呼吸への集中が内的に度が強くなればなるほど、外の刺激が色あせてくる。刺激は沈下してもうろうとしたざわめきとなるが、これは最初はぼんやり聞こえる程度であり、最後にはもはや邪魔に感じられない」と。
◎これは内面への専心(注意集中)、巣ごもり、まゆ化(三昧)である。瞑想で、感覚情報がどのように受け取られ受け入れられているかを、彼は分かりやすく説明してくれる。
[弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡みあっている]
◎ヘリゲルは次のようにもいう、「これらのすべて、すなわち弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡みあっているので、もはや私はこれを分離することができません。のみならずこれを分離しようとする要求すら消え去ってしまいました」と。
[意志の消失も伴った分離から融合への階層上昇]
◎これは、文字が合一して単語となるように、水素と酸素が化合して水となるように、分離から統合(融合)への意識の階層上昇である。またそれには「要求すら消え去」るという意志(自力)の消失も伴う、否、意志の消失を伴わなければなしえない技である。
[禅は体験体得(技能)を重視する]
◎禅は、先に示したような体験(技能)獲得を目的とする。釈迦が華を拈(ひね)って聴衆に示した時、摩訶迦葉(マカカシヨウ)のみがその意味を悟って微笑した、師弟相伝的な拈華微笑。そこで釈迦は、「言語で説明できない仏教の真理が摩訶迦葉に伝わった」と告げた。
[言葉による説明を嫌う禅宗]
◎以心伝心による禅宗の伝法の始めを語る故事として有名である。「一器の水を一器に移す」といわれる。悟りは言葉で説明して知的に理解したとしても何の意味も持たない。体得が目的である。体得時には目的すらも消え去っているが。(仏教)禅宗が言葉による説明を嫌う理由がここにある。
[相手の動きを肌で感じる無心の共感によって一人の人間の如く振る舞う二人羽織]
◎師弟相伝・以心伝心から、寄席での「二人羽織」を思い浮かべる。一人が手を通さずにはおった羽織の背後に別の人がもぐり込んで、両手を袖に通して、手探りしながら前の人に飲食をさせる余興を。
◎師と弟子との関係は二人羽織であろう。一心同体。心を無にして共感・共鳴・模倣、相手の動きを肌で感じる体感によって二人があたかも一人の人間であるかの如く自然な振る舞いをする。

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