宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十七章 自然原理を反映する歴史 [133]荒れる若者たち、迷える中年、認知症する老人

[133]荒れる若者たち、迷える中年、認知症する老人
[認知症老人・迷える中年・荒れる若者たちも上昇気流に乗り損なったグライダー]
認知症する老人も迷える中年も荒れる(こもる)若者たちも、上昇気流(目標)に乗り損なって失速する(自力操行できない)グライダーである。
◎今の日本には老人に働く場(単に職場だけを意味するのではない)がない、それまでは家庭内に座席(しかも特等席)が用意されていたのに。居場所をなくして日だまりで震える老人たちは、それに耐えるため脳を衰えさせるしか道はないのだろう。
[地方では国政に見切りをつけた士が立ち上がる]
◎地方では状況はまだましで、都会よりも認知症老人が少ないらしい。若者が去った村は老人たちが主役・現役で活躍する。若者がいないことを幸いに、地方に老人(婦人)文化を築き、優秀な人材が育ち、国政に見切りをつけた国を思う士が立ち上がる。
[一様化の後には多様化が付き添って来る]
◎しかし、そうであってもやはり政治の貧困(未来を指し示すのが政治家の中心的役目である)である。一様(集団)化した上での多様(個性)化は必然の流れである。一様化(都市集中・全体優先)の成功によって日本の名前を世界にとどろかせたが、次に来る多様化(地方分散・個性優先)への道筋を読めないでいる。単にお金をばらまくだけでは文化は芽を出さない。
[非行・反社会的行為を行う者の自由を妨げるのは彼らの心にある鎧・壁]
◎非行・反社会的行為を行う者は、社会が自分の行動の邪魔をする、自分の自由を妨げると思う。だから、社会に対してこれ見よがしに抗議行為を繰り返す。実をいえば、彼らの行動の邪魔をし、自由を妨げるのは彼らの心にある(エネルギーの流れをはばむ)鎧・壁・下位機能(親・社会との関わりで形成した機能・コンプレックス)である。
[成長とは壁を取り壊してゆくこと]
◎我々には幾重にも壁が張り巡らされている。どの壁(ニッチ・生態的地位)の内で生きているかによってその人を知ることができる。霊性の開花は、ベルリンの壁が崩壊したように、この壁をひとつひとつ突き崩す。壁とは、自分の視野を狭めている視界を遮る抽象的壁のことである。壁を壊すごとに、統合力が増し、霊性度(霊性能力)が高まる。
[暖かい愛情が壁を打ち砕く]
かぐや姫は老爺老婆によって壁(竹)から取り出され、桃太郎は桃から取り出され、瓜子姫は瓜から取り出され、孫悟空は岩から救い出された。壁から救い出すのは、老爺老婆・父母・家族・指導者の暖かい愛情である。しかしその暖かい愛情あふれる家庭もいずれ突き破るべき固い壁と化す。
[内面的に実行すべきを外的世界で行う行動化]
◎最近その壁を壊すことと両親殺害とを勘違いする事件が多発する。内面的に実行すべきことを外的世界で行う行動化が目立つ。彼らには自己表現の機会と訓練が不足する。学校で自らの内面を知る機会を作って欲しいものである。
[打ち破るべき鎧に気づくためにはかなり深い内省が必要]
◎打ち破るべきはその鎧(壁)なのだが、それに気づくためにはかなり深い内省が必要である。内省といえば、孫悟空はいたる所で暴れまわった揚げ句、釈迦如来によって五行山の岩に閉じこめられ、500年後に通りかかった玄奘法師に救い出されるまで母の胎内(岩)に籠もらされる(鎖国する)。内省とは意識(上位階層)に向けての内心の自己表現である。カウンセリングは自己表現の場を提供する。
[心の壁を打破しても現実の壁が立ち塞ぐ]
◎反社会的行為を行う外向タイプの者は内省を苦手とする。内省によって心の鎧に気づき、さらにそれらが取り除かれたからといって、すいすいと何でも思うままに進むものでは決してない。
◎外にはやはり現実の壁が彼の前に大きく立ちはだかる。とはいえ、もはや反社会的行為に誘う壁がない(アウトサイダーから社会の一員となった)ので格段と身軽になったとはいえよう。後必要とするのは、忍耐力とこつこつと積み上げる小豆さである。
[中年の危機は、膨張宇宙から反転して、収縮宇宙への方向転換の機会]
◎空の巣症候群・主婦飲酒常習者や実存的危機・中年の危機は、膨張宇宙(物質的自我の拡大)から反転して、収縮宇宙(自我の縮小・意識の拡大)への方向転換への好機である。物質的自我の縮小に逆対応的に精神的自己の拡大がはかられるべきだろう。
[中年は自我の縮小から自己の拡大への転換期]
◎自我の縮小(実存的危機)はコペルニクス的転回の一大転機だが、それ(天空へ連れて行ってくれる気球)に乗れなかった者は自己の拡大を伴わない(物質面にのみしがみつく)自我の縮小だけが進行する。そうなれば、それを食い止める悪戦苦闘だけが待ち構える。
[衰えるのは肉体だけで精神は上昇を望む]
◎上昇から下降に転じるのが中年(主に50歳代)だが、下降するのは肉体部分だけで、精神にとってはもっけの幸いなのである。重石(肉体)が徐々に衰えるために、身軽になって上昇がそれだけしやすくなるのだから。
[精神が肉体に別れを告げて一人旅に出立すべき中年]
◎精神は肉体に「さよなら」をして一人旅におもむくべきだが、ほとんどの人は精神が肉体と同体だ(自分は肉体だ)と勘違いをして、哀れにも肉体とともに下降をたどる。とんだ勘違いである。そうなれば、肉体に伴って精神(脳)も衰退し始める。
[意味への意志が満たされないときには実存的空虚(欲求不満)が起こる]
オーストリアの精神医学者フランクル(1905-1997)が創始した実存分析は、人生の意味と価値を分析する。人は可能な限り多くの価値(望ましい善いもの)を実現しようとする「意味への意志」をもち、それが満たされないときには実存的空虚(精神的欲求不満)が起こる。
[挫折は離陸をうながすゴーサイン]
◎「意味への意志」が心の内部で、遠くを望むかのように頭をもたげるのが膨張宇宙から縮小宇宙へ、肉体的上昇から下降へと転回する中年期である。ささいなことで人生を棒に振った中年男女が多いが、それは次のステップへの誘いだと解して新しくスタートされんことを願う。
◎挫折は離陸上昇(仰ぎ見て目標を持つことがそれらを可能にさせる)の先触れである。必ずそうなるとは限らずそのまま失速する人も数多いが。
[自己実現・精神的健康・創造性など生きる意味や価値を追究する人間性心理学]
◎生きる意味や価値を追究する心理学は人間性心理学と呼ばれ、人間の全体性(丸ごと)や主体性を重視する。この心理学の基本テーマは、自己実現・精神的健康・創造性である。これは精神分析・(ワトソンが提唱した)行動主義(プログラムソフトの創造・再創造)に対する第3の勢力(精神性の重視)として主張された。
[自己実現の中身は各自の自由にゆだねられている]
◎動植物は条件が揃えば野の百合のように必ず自己実現するが、その中身は指定(特殊化)される。人間では精神が重視される(野の百合のような物質的自我の上に精神が位置する)ので、自己実現の中身は事前決定されておらず、自己選択・自己決定(自由・実存)に任される。
[精神は年齢・性別・能力について何ら設定・限定されていない]
◎精神は肉体と違って年齢も、性別も、能力も、性格も何ら設定・限定されていない。時間空間を生きる肉体は歳を重ねるが、(時空を超越する)精神に年齢は刻まれない、ちりあくたは付着しない。精神に立脚する者は年を取らない、老若(創造する若さと豊かな智慧ある老賢者)合わせ持つ永遠の青年である。
[能力は豊かにそなわるが、修せざるには現れず]
◎「この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといゑども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし」。
◎この文は道元が長い間疑問(すでに仏である衆生が何故わざわざ修行を積まねばならないか)に思い、答えを得たいと願っていたことに対する道元自身が実地体験することによってつかみ取った解答である。
◎「この法」を自己実現能力(潜在的可能性)と読み替えて下さい。法は潜在するので修行(訓練)によって顕在化させねばならない。風性はうちわであおがねばならない。可能態は現実態に移行させねばならない。座敷わらしは育てなければならない。影は明かさねばならない。
[無意識内へ内省して埋もれる潜在的可能性を発掘して育てる自己実現]
ユングは人生を前半と後半に分けた。前半は第一人格(自我)の確立がテーマ・課題で、後半は自我が自らの源泉(無意識)に内向・内省していまだ潜在的可能性として隠れている座敷わらしを探し出して育てる自己実現を目指す。その座敷わらしはかぐや姫に育つか、桃太郎として成長するかもしれない。
[学習期・自我の確立期→自我の成熟期→自己実現期]
◎現代では人生80年なので、ユングのいうように半裁せずに、三段階[1歳から25歳までが学習期・自我の確立期→25歳から50歳までが自我の成熟期→50歳以降は自己実現期]に分けるのがよいのではないだろうか。
◎今女性側からする(自己実現目指した)熟年離婚(とはいえ、地に足の着かない自己実現は不可能である)が急増中である。それに反して、退職後の男性は急にひからびる。女性の時代が大股でひたひたと近づいている。
[単純(一様性)から複雑(多様性)への自己展開が自己実現]
◎宇宙は常に膨張しながら、単純から複雑へと絶えず形成し自発自展する。我々も宇宙の一員として、同じように単純(一様性)から複雑(多様性)へと自己展開しようとする。それが私たちには欲求として現れる、感じられる。その自己展開が自己実現である。実存分析は自己実現すべき価値を心の奥に潜って探求する。
[自己実現しつつある時には十全に機能して、幸福で満ち足りていると感じる]
◎自分の中で顕在的・潜在的にある才能・能力を現実化し豊かに発展させてゆくことが自己実現である。自己実現しつつある時には十全に機能していると感じ、幸福で満ち足りていると感じる。自我成熟中の幸福と自我成熟後(自己探求中)の幸福とは次元を異にする。
◎あなたは幸福ですか。不幸ならばそれは他人の責任ではなく、また他人がもたらすものでもなく、それはあなた自身が不幸をつむぎ出している。