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第十八章 精神・魂に語りかける民話・昔話 [143]悟り後のジャックは人食い鬼(慢心)を退治して才能を開花させる

[143]悟り後のジャックは人食い鬼(慢心)を退治して才能を開花させる
[悟り体験は地動説(自我中心)から天動説(自己中心)へのコペルニクス的転回]
◎悟り体験をしたからといって、自我が完全永久消滅したわけではなく、依然として存在する。ただ悟り後には自我(特に身体自我)は自己に奉仕する、自己に軸足を置く、悟り前の地動説(宇宙の中心の地球)から、太陽の周りを巡る数ある惑星の一つという天動説へとコペルニクス的転回をする。自我から自己へと軸足を移動させるぶん、普遍性は高くなる。
[意識が上昇するので自我肥大・慢心の心配が生まれる]
◎普遍性(心の拡大)が高くなるだけに自我肥大・慢心の心配が生まれる。慢心はおごり高ぶり思い上がってバベルの塔を建て始める。これに取りつかれた者の言葉は迫力があるので依存心の強い者はそこに引かれて行く、磁石に引かれる鉄粉のように、すべてを飲み込むブラックホールのように。
[自我(地球)が自己(太陽)を同一視するのが慢心]
◎自我(地球)が自己(太陽)を同一視するのが慢心である。高みに登った何人もの宗教者がそのつまずきの石で一気に平地(俗界)にまで転げ落ちた。奈良時代の僧道鏡称徳天皇の寵愛を受け、太政大臣禅師になり、さらに法王位を授けられ、失敗に終わったものの、皇位に就こうとさえした。
[相手と同じような態度を示す同一化(同化)と相手と同じような考えを示す同一視]
◎外部のものを内部に移し入れる(取り入れる)のは、同一化(同化)を通じて行われる。相手の考え・感情・行動・属性を取り入れ、相手と同じような態度を示す。弟子は師匠を、子は親を無意識的に同一化(真似)する。つまり、素直に取り入れてそのままを表現する。
[大きな存在と同じ行為・態度は安心と満足を与える]
◎同一視は、相手が考え・感じ・行為するように自分も同じようにして満足や安定を得る。一致は満足・安定を与える。親子の間で同一視・同一化が行われて成長し、やがて子どもが親に対して疑問を抱くことがきっかけで同一視が崩れ、親子の間に大きな断絶(差異・不一致)が口開く結果となる。
[牝牛と交換した豆は一夜で天まで届く大木になった]
◎「ジャックと豆の木」はイギリスの昔話である。ジャックの家に牝牛がいたが急に乳を出さなくなった。それで彼はその牛を売ろうとしたが、老人にうまくいいくるめられて豆と交換してしまう。その豆は一夜で天までとどく大木となる。
[天上の善人と地上の悪人は同一人物]
◎そうなると、この老人は禅の大家的存在とも見なせる。俗的には詐欺師(地上では悪人)だが、仏教的には超一流の師(一夜で天までとどく大木となる豆を与える善人)である。だから善人か悪人かの見分けは極めて難しい。
[ジャックは豆の木を登り天にまで達し、そこから宝物を持ち帰る]
◎ジャックは大木を登って天上に住む巨人の人食い鬼がいるお城から「金貨の袋」と「金の卵を生むめんどり」と「歌いしゃべる金の竪琴」を奪う。それらを奪って先に地上に降り立ったジャックは斧で木を切り倒して追って来る人食い鬼を退治する。
[巨人は天上では宝物(自己)を守る善人で、地上ではジャックを食らう人食い鬼]
◎ジャックの分身「巨人」(潜在的可能性)は天上(自己世界)に住むが、地上(自我世界)にまで連れて来てはいけない。巨人は天上では宝物を守る善人であるが、地上ではジャックを食らう悪人(人食い鬼・慢心)である。退治しなければ地上ではジャックを食って自我肥大と名前を変えて暴れ出す。天上の巨人でありかつまた人食い鬼はジャックの中の善人(精神・才能)と悪人(肉体・物質的欲望)とも考えられる。
注)鬼子母神。仏教で、鬼子母神は、千人の子があった。鬼子母は、性質邪悪で、常に他人の子どもを殺して食べたため、仏はこれを教化しようと子を隠したので、鬼子母は探し求めるが見つけられず、悲嘆にくれた。そこで仏は、「汝は千人中ただ一子を失うにさえ悲嘆懊悩するのに、汝に子を食われた親達の胸中はいかばかりか」、と説いた後、子を返した。以後鬼子母は、仏に帰依し、産生と保育の神となった。
[下位機能・役割によって違う名前を使う]
◎その都度その都度表面化する下位機能によって違う名前を使う、ある時にはジキル博士であり、またある時にはハイド氏となるように。異なる名前を使うといえば、ツバス→ハマチ→メジロ→ブリと成長につれて呼び名が変わる出世魚がいる、あるいは、豊臣秀吉のように。仏教では人も死ぬと名前を変える(大金をはたくと買える)。水で死ぬと一律「土左衛門」と命名されるが。
[天上に留まるべき人が地上に降りて世間を騒がせる]
キリスト教世界では天界の天使が地上に降りて悪魔と化した、「ジャックと豆の木」の天上の巨人のように。そのような巨人が地上まで降りて来て世間・世界を騒がせたことが何度あったことか。
[豆はジャックの潜在的可能性、天にまで至る宗教的可能性を表す]
◎ジャックは牛と豆とを交換したが、豆はジャックの潜在的可能性を、特に宗教的方面における可能性(天にまで至る能力)を表すのだと解せる。天を目指すきっかけは牛が乳を出さなくなった物質的欠乏(挫折)である。さらに老人の巧みさによって牛を手放すという現実への執着心のなさも手伝って、ジャックは自我から解放されて自己に至った(天上に昇り立った、しかも一夜にして)と考えられる。
[卵・豆・種は潜在的可能性を意味する]
◎卵(動物)も豆・種(植物)と同様に、これから成長して行く潜在的可能性を意味し、しかも卵そのものを持ち出したのではなく、その卵を生む源であるニワトリを持ち帰って来た。ジャックはこれから先数々の素晴らしい(金の)潜在的可能性の実現目指してまい進するだろう。
[芸術的才能も磨けば自律的芸術産出機能となる]
◎ニワトリと一緒に持ち帰った竪琴は芸術的才能を象徴する。彼がそれを自ら弾くのではなく、竪琴自身が自然に歌いしゃべるという、つまり下位機能が自律的に芸術産出を行う。ゲーテモーツァルトの芸術的才能は彼らが意識して生み出すのではなく、芸術的才能(下位機能)自身が自我とは無関係に自律的に作品を生み出すまでに機能が自動化していた。