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第十八章 精神・魂に語りかける民話・昔話 [139]自我の執着を持たない貧しさは人を天国に案内する

[139]自我の執着を持たない貧しさは人を天国に案内する
[雪中に立つ地蔵を気の毒に思い、頭の雪を払い売物の笠をかぶせる]
◎私の子どもたちが幼い頃、日本昔話が放送され、子どもたちと一緒にテレビの前に座って私も妻もよくそれを見た。今その日本昔話が再開されている、とても喜ばしいことである。その中に「笠地蔵」の話もある。
◎お爺さんは大晦日に笠を売りに行くが全く売れない。その帰り道雪中に立つ地蔵たちを気の毒に思い、頭の雪を払い売物の笠をかぶせるが、まだ足りないので自分の笠まで脱いでかぶせてやる。お爺さんとお婆さんはおかゆを食べて床に着いた。
◎その夜吹雪の中を地蔵たちが米やお金や薪を持って来て家の前に積み上げて置いて行く。地蔵があたかもクリスマスに大きな白い袋を担いだサンタクロースのようでほほえましい。
[貧しさは自我の執着のなさを示す]
新約聖書に、「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」とある。
◎貧しさは「自我の執着のなさ」を暗示する。といっても、現実世界で物質的に貧しい人々が自我の執着に乏しいということでは決してない。洋の東西を問わず、自我の消滅が天国(浄土)を招き入れる。
[天国へは自我を消滅させた者だけが入れる]
◎貧しいから自我の執着がないのではなく、自我の執着がない故に貧しい。晴れ晴れとした貧しさである、わびさび的な。新約聖書の「心の貧しい」は「自我への執着心が乏しい」と解すべきだろう。天の国は自我を消滅させた者だけが入れる狭き門を持つ王国である。それを生きながらに実現させたら、悟りと呼ぶ。逆に死んでも自我を捨て切れなければ、幽霊としてこの世に留まる。強い無念残念の気持ちが死者を幽霊にしてしまう。
[自我の放棄・あきらめや自我の執着の乏しさ]
◎笠地蔵とかマッチ売りの少女のように、売りに行くが全く売れないのは、自我の努力が無効(報われない)だった、それによる自我の放棄(あきらめ)を暗示する。「ジャックと豆の木」のようにウシと豆との交換、「猿蟹合戦」のように握り飯と柿の種との交換のような価値の低いものとの交換も自我の執着の乏しさを暗示する。
[豆や種は、今すぐではないが未来での豊かな実りを暗示]
◎豆(これも種ではあるが)や種は、今すぐではないが未来(時間をかけての努力をした後)での豊かな実りを暗示させる。これは先見の明(今すぐの小さな価値ではなく未来での大きな価値を選び取る能力)があることをも示す。物質(ウシや握り飯)よりも能力面での潜在的可能性(豆や種)を選び取ったことも意味する。
[遙かかなたの高みにいる笠地蔵のお爺さんとお婆さん]
◎笠地蔵のお爺さんは手をすり足をすり拝みたいほどの暖かみ、温もりを感じる好々爺である、それと忘れてはならないのは彼に異を唱えなかった心暖かいお婆さん。物語に登場する老婆はたいてい意地悪、どん欲、口汚くののしる心の醜悪である。彼ら両人とも遙かかなたの高みにいる、雛壇の最高位に据えたい人柄である。