宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第三章 普遍・基本形と特殊・変形 [18]特殊から普遍への脱皮・脱分化=階層の上昇(建て増し)

[18]特殊から普遍への脱皮・脱分化=階層の上昇(建て増し)
[脱構築は要素を組み直す再構築]
◎幼虫→さなぎ→成虫への変態は、フランスの哲学者デリダのいう脱構築(破壊+構築)である。それは外からの否定・破壊ではなく、内部にとどまって土台をゆるがせ、仕組み・構造を要素に解体・分解しそこから種子的可能性を引き出し見出しその要素を組み直して再構築をはかる。
[脱構築は特殊(自己限定度)を普遍化し直す]
脱構築は特殊を普遍化し直す。構造主義の後に脱構築が来るのは自然の成り行きであろう。完成した構造は老朽化が激しくならない前に脱構築しなければ、部分的手直しでは老朽化は止まらない。ただ遅らせるだけである。
[生まれたら、人は先ず自我を構築する]
脱構築するとしても、生まれたら、先ず人は自我を構築する。とにかく自我が入る家(拠点・居場所)が必要である。その家は防衛としても役に立つ。建てた家の中に家具が次第に入れられ、生活用品が搬入されて、さまざまな趣味の品も買い進められてゆく。
[自我が成熟した後には]
◎それに従って家は手狭となる。ヤドカリは自分の家(それとて借りの宿[家主は巻き貝]ではあるが)を捨ててより大きな家を見つけ出す。カタツムリやタニシのように生涯家を捨てない手合いは家自体を大きくしてゆく。ナメクジのように家を捨ててしまったやつもいるが。
[自我は欲望と外来規制とにしばられる]
◎自我は、身体内から来る欲望(エス・エネルギー)を、外から来る規制の中で何とか満足させる方向に持ってゆく。衝動的なものを合目的的なものに変化させるが、外からの規制と欲望とに合わせる・妥協する点で、中間管理職のように自我は内憂外患で胃(意)を痛めている。
[律法の上に愛を積み上げたイエス・キリスト]
ユダヤ教は、モーセの律法を基とし、唯一神ヤハウェを信奉するユダヤ人(民族)の宗教である。そのユダヤ教をイエスは捨て去ったのではなく、律法(旧約聖書)の上に愛(新約聖書)を積み上げ神の愛・隣人愛を強調した。律法があっての愛である。自我(律法)を越え出ると、愛に生きる道が待っている。
[律法を守り得ない民衆を救う新宗教]
◎イエスが生きた時代のユダヤ教は律法を遵守する人々だけが救われるとした。それに対して、イエスの師ヨハネは「悔い改め」(回心)によって神の国に入れるとした。これは貧しい一般民衆にとって過去を問われることなく、未来に対する決意によって救われることを意味した。
◎イエスヨハネをも超える弱者救済的立場に立った。これは日本で鎌倉時代に貴族仏教(旧仏教)に対して新仏教が隆盛したのと同じような状況だろう。
[伝統宗教の上に仏教を創造した釈迦]
バラモン教は、古代インドにおいてバラモン(僧侶)階級を中心に形成され発展した民族宗教である。釈迦は、バラモンの祭式万能主義と、カスト(身分制度)による差別を認めぬ立場に立って、慈悲による人間の平等を唱えた。これはユダヤ教に対したキリストと同じ態度である。救われる対象にない民衆を救済することを約束する。
[自我の執着を脱皮すると慈悲の雨が降る]
◎他者意識(境界線)がない徹底した自他不二の無我から発せられる共感的愛・友愛が慈悲である。これを具現したものがガンジーの実践した非暴力抵抗である。釈迦は物質や自我への執着によって生じる苦悩(無我にならない限りこの苦悩は消えない)から自由になる方法を伝えた。
[イエスも釈迦も、民族宗教を人類宗教へ脱皮・階層上昇・普遍化させた]
◎イエス(キリスト)も釈迦(釈尊)も、民族宗教(ユダヤ教バラモン教)から人類宗教(キリスト教・仏教)へ、特殊(大きな限定)から普遍(広い包容)へ脱皮・階層上昇・普遍化・脱構築させてキリスト教・仏教を創造した。仏教は、小乗仏教(個人の完成・律法優位)から大乗仏教(人類の完成・慈悲優位)へ脱皮した。