宇宙原理があなたの中を貫流する

このブクロを通じて宇宙を網羅する基本法則を提示していきたい。

第十六章 絶対無に憩う悟り [125]悟りの句(俳句・和歌・言葉)

[125]悟りの句(俳句・和歌・言葉)
[水の音・一鳥鳴きと古池・幽玄の山]
1)「古池や蛙飛び込む水の音」(芭蕉)。
◎「一鳥鳴いて山更に幽なり」。
注)六世紀前半の詩人王籍の五言古詩「蝉噪林逾静 鳥鳴山更幽」。この句をふまえて、北宋の詩人王安石は、「一鳥不啼山更幽」。
[古池はまゆにくるまれた三昧境地]
◎「古池」の句は芭蕉仏頂禅師に参禅して悟ったときのものだといわれる。「古池」=純粋経験=全体把握=三昧の世界=感情・意識(感性・知性)などの心の動きが完全に停止した境地。水の音=(無意識の統一が破られて)自我・意識の蘇り。あるいは逆に無意識の噴出のきっかけ、その場合には(自我世界を打ち破る)水の音の後に古池の世界が来る。
◎内的集中状態で古池の世界に没入、心がとけ込んで一体化した三昧状況から水の音によって意識が立ち上がった瞬間の句。あるいは犬の声、鐘の音、電車のごう音、叱責の声をきっかけにして悟りに入ったのと同様に水の音によって開悟したとも考えられる。
[動の表現によって静の存在に気づく]
◎ともかく、「水の音」によって古池の世界に浸っていたと理解できる。動(水の音)の表現によって静(古池の世界)の存在に気づく。鳥の鳴き声によって山の幽が強調できる、ひとつまみの塩がおしるこの甘みを強調するように。
[水たまらねば、月も宿らない無我・無心]
2)「千代能がいただく桶の底ぬけて、水たまらねば、月も宿らず」。
鎌倉時代の女性(千代能)の悟りの句。私たちは桶(自我)に貯めた水(心)に映る月(感覚情報によって構成された物質世界)を本物と思う、本物の月(精神世界)には目もくれず。この歌は無我・無心(水たまらねば、月も宿らず)の心境を言い表す。
[空っぽで自分が居ない身心脱落]
3)江戸前期の臨済宗盤珪禅師(1622-1693)の悟りの句、「古桶の底ぬけはてて、三界に、一円相の輪があらばこそ」。
◎あらばこそ=絶対にない。桶の底がぬける悟り体験は、阿部正雄の、自己の根底を破って衝き上げる体験と同じだろう。
[悟りの心境から日常へと戻る]
4)平安末期から鎌倉初期の僧、というよりは歌人西行(1118-1190)は詠う。「すてはてて身はなき物とおもへどもゆきのふる日はさむくこそあれ」。
◎彼は悟りから(特に悟りすました孤高を誇示することなく)日常へと戻った心境を重視して、旅と自然を好み、花と月を題材とした歌をたくさん詠んだ。
[自我が死んで自然法則にそって生きる生きながらの死人]
5)江戸初期の臨済宗至道無難禅師(1603-1676)の歌、「生きながら死人となりてなりはてて、思いのままになすわざぞよき」。
孔子の「心の欲する所に従えども矩を踰えず」と同じ心境を言い表す。生きながら死人となるとは、自我(個人原理)が死んで自然(宇宙)法則(=天命)にそって生きる。思いのままになす=心の欲する所に従う。

盤珪禅師遺芳

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